ちょつといっぷく 越前若狭 時季の風物詩

越前の風物誌などをお送りします・・・

羽賀寺

2016-01-17 10:23:35 | 時事

羽賀寺

羽賀寺(はがじ)は、福井県小浜市羽賀にある高野山真言宗の寺院、本尊は十一面観音。

「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願により行基よって

創建されたと伝えられる。

最盛期には子院18を数えたが、天災などで消失し、近代以降は本堂のみが残る。

近年本堂の下に書院ができました、ここには近年大門があったがこれも雷で焼失した、

北陸三県でも一二を争う大門だったと村の古老は話していました

ただ不思議なのは行基の事ですが、父は高志氏。高志氏は王仁(わに)の後裔とされる

西文(かわちのあや)氏の一族で、百済系渡来氏族が由来ですが

717(霊亀3)年、朝廷より「小僧行基」と名指しでその布教活動を禁圧される事件があるのに

どうして羽賀寺を霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願が出たのか・・・????ですね


現在の羽賀寺本堂は、室町中期の文安4(1447)年の建立で、桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、

棟高13.21m。桧皮葺の入母屋造りで、軒の勾配がやや急に反る様式は北山文化の建築

正統的な密教様式を残し1962年(昭和37年)、国の重要文化財に指定

ようするに外観はとても奇麗なお寺でした、なかは入りますとぐるりと拝観できます

木造十一面観音菩薩立像

羽賀寺の本尊で、10世紀初期の作。像高146.4cm。元正天皇の御影との伝説がある。

平安前期の古様をとどめており、眉目も弘仁・貞観文化の観音像に共通する。本像の最大の特色は、

造立当初の彩色がほぼ完全に残っていることである。宝冠は代赭(たいしゃ)色、

条帛(じょうはく)や天衣(てんね)は緑、裳(も)は朱が用いられ、

(「条帛」は左肩から斜めに掛けているタスキ状の布「裳」は下半身にまとうスカート状のもの)

観音菩薩立像は膝に届く位長い腕で 古代腕は長いほうが良いとされたとお寺の人が話していました

又 鳳凰が飛来し、この地に羽根を落としたという伝説が寺名の由来です

小浜市羽賀 TEL.0770-52-4502

 上の写真の黒板白壁の塀(へい)は後ろで材木などで支えていて今にも塀(へい)が倒れそうでした

塀の後ろの書院は最近国の補助で作られたそうです、

じつはこの羽賀寺の下に村の人40軒くらいで守っている神社がありましてほとんど知る人もない

小さなお社(やしろ)ですが、羽賀姫神社と言われているそうです、

明治の初めに神仏集合が禁止されたときにもこのお社の中には神と仏が同居しており

今でもそのままにしてあるようです、この後一言主のお社も見つけましたので行く予定です、