梅雨に入る前に福井県勝山市にある平泉寺にしばらくぶりに行ってきました
越前禅定道の入口まで入りました、越前禅定道のルートは
白山神社の三宮裏手を起点に、三頭山、稚児堂、法恩寺山頂、小原峠、三ツ谷、
市ノ瀬などを経て、室堂から白山頂上です
平泉寺は長い歴史がありますが以下が12世紀前半の事柄でした
710年 (和銅3)平城京が都に定められその後、717 (養老年間)泰澄大師が白山を開く、
832 (天長9) 白山信仰の拠点として、越前の平泉寺、加賀の白山本宮、美濃の長滝寺の三箇所ができます
1084 (応徳1) 平泉寺、延暦寺末寺となる、その当時延暦寺の僧兵は天皇や上皇へも強訴していた、
1147 (久安3) 延暦寺と園城寺が対立し、平泉寺は延暦寺側につく
この時代から平泉寺は僧兵を増やし始めたようです、後で書きますが北谷二千四百坊、
南谷三千六百坊の数が明記されたのは十五世紀位からです
1183 (寿永2) 源義仲(木曽義仲)が、藤島七郷(福井県福井市周辺)を平泉寺に寄進する
平泉寺長吏の斎明、源義仲軍に参加し、燧城で戦う
****(ちょうり)
中国の漢時代(BC200年頃)にあった官吏で高い官位の者の呼称
日本では神主や僧侶に代わり、政権と折衝を行う者を言う
加賀国の白山権現の、近江国の三井寺の長吏が有名
特定の寺僧の長で本来は座主などと同格の地位を持っていて戦にも出陣した
そのため別当(官吏司の長官)より上位になることもある ******
1183源頼朝、藤島荘(福井県福井市周辺)を平泉寺に寄進する
1192 (建久3) 源頼朝、鎌倉幕府を開く。
平泉寺はその時代の力の強い側に付いて行ったようですが、あとの応仁の乱まで激動の時をすごしてますね
1195 (建久6) 源頼朝、平泉寺領藤島荘の年貢1000石を没収する---------この後はその二で紹介します