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三浦しおん『まほろ駅前番外地』あらすじと感想

2015-07-20 11:06:07 | 紙の書籍
文春文庫 三浦しおん『まほろ駅前番外地』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
光る石
星良一の優雅な日常
思い出の銀幕
岡夫人は観察する
由良公は運が悪い
逃げる男
なごりの月
解説・池田真紀子


【あらすじ】
『まほろ駅前多田便利軒』の続編。前作に出てきた登場人物たちの目線で描かれる、それぞれの日常と心情。


【感想】
「光る石」は、まほろ信用金庫に勤める宮本由香里とエンゲージリングのお話。少々えげつない気もしないではないが、女性なら「あ~それは腹立つよねぇ~」と思ってしまうだろう。

「星良一の優雅な日常」は、いろいろと危ないことをしている闇社会の人間 星の意外な日常。やばい仕事とプライベートが真逆でギャグかと思ってしまう。人というのはつくづく複雑でよくわからない生き物だなぁ~と。そこがおもしろいのだが。

「思い出の銀幕」は、呆けてしまっている曽根田のばあちゃんのお話。かつて「まほろばキネマ」の看板娘だった若かりし頃のロマンス。
時代背景と相まって、まるで映画かドラマのよう。素敵な思い出話だ。
現在の境遇を考えると、幸せなのかどうなのか…。本当のことは、本人しか決してわからないが。

「岡夫人は観察する」は、夫と二人で悠々自適な生活を送る夫人の悩みとぼやき。悠々自適ではあるが、それは夫だけだ。妻は一生、家事と雑事、おまけに年々気難しくなる夫の世話まである。
地元で育った便利屋の二人のことは、子供の頃から見知っており、その頃と今の変化を感じている。あの頃はなにがあり、今はどうなんだろう?と。
最後の数行がとてもいい。。
>そう思える程度にいい一日を過ごせて、岡夫人は満足だった。
 夫がいびきをかきはじめた。岡夫人は半ば夢のなかで、隣の布団に手を入れる。
 触れた夫の手はあたたかかった。

「由良公は運が悪い」は、小学校5年生の田村由良がいろいろなことに巻き込まれてしまった、とある日曜日のお話。
便利屋の主に行天のせいでいろいろと困ったことに遭いつつ、それでも、「悪くないな。。」なんて大人びた顔で思ったりする。行天と由良公の年齡を越えた友情?が愉快で楽しい。あくまで、傍で見るぶんにはだが。

「逃げる男」は、柏木亜沙子とその亡くなった夫のお話。亜沙子と夫は親子ほどに年齡が離れていた。
ある日、柏木は「一人になりたい」と言い、豪邸を出てボロアパート住まいに。そこで、一人で死を迎えた。その遺品整理に便利屋が依頼されて…。
亜沙子と柏木、もっとほかにやりようがあったのではないか?もっと、お互いに気持ちを伝え合えばよかったのではないか? 号泣する亜沙子の気持ちに感情移入してしまった。さっさと死なれてしまったら、一体残されたものはどうしたらいいのだろう?
あと、多田の淡い恋心が垣間見えて、そこだけはなんだか微笑んでしまう。

「なごりの月」は、父親は出張、母親はインフルエンザで2歳の娘の面倒をみることになったお話。実はこの話が一番重く、行天の知られざる面を表しているのだ。
子供時代を両親から無償の愛を受けずに、むしろ虐待を受けてきた行天。その心の傷は未だ癒えることなく、トラウマとなって深いところにぽっかりと口を開けている。普段は無視していれば、変人なりにやっていけている。
だが、ひとたびそこを見てしまう状況に出会ってしまうと、フラッシュバックを起こして制御ができなくなってしまう。そのことを一番恐れているのは行天自身なのだ…。子供が苦手、嫌いというより、怖いのだ。過去の自分と重なり、傷がまたぞろじくじくと傷んでしまうから。
>凍えた人間をもう一度よみがえらせる、光と熱はどこにあるのだろう。
 多田は祈るように考えた。
この多田の存在が行天の救いなのかもしれない。

全編をとおしているのは、辛さと悲しみの向こうにさす、微かな希望と喜び。起こってしまったこと、過去はなくならない。なかったことにもできない。それでも、違うなにかに転じることができるのではないか?そこには小さな希望と幸せがあるのではないか?
そう言っているように思える。読後にほんのり。。と、心が暖かくなる。


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三浦しおん『まほろ駅前多田便利軒』あらすじと感想

2015-07-17 11:27:49 | 紙の書籍
文春文庫 三浦しおん『まほろ駅前多田便利軒』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
一 多田便利軒、繁盛中
ニ 行天には、謎がある
三 働く車は、満身創痍
四 走れ、便利屋
五 事実は、ひとつ
六 あのバス停で、また会おう
解説・鴻巣友季子


【あらすじ】
東京郊外にあるまほろ市の駅前で、多田啓介は便利屋を営んでいる。妻とは離婚しており子供もいない。仕事帰りにバス停でおかしな風体をした男、高校の同級生だった行天春彦に再会する。成り行きで住まい兼事務所に居つかれ、二人で便利屋をすることになる。
依頼されるさまざな仕事、そこで出会う人たちとのあれこれ。


【感想】
ここに出てくる人たちはみな寂しい。どこか欠落したものを抱えて生きている。欠落のない完璧な人なんていないのかもしれないが、それにしても、そこが欠落してしまったままなのか…と思う。
愛着を抱く者から得られなかった愛情、小さな悪意が引き起こしたことへの罪悪感、押し殺す殺意という名の衝動。そんなものがあちこちに散らばっている。

起きてしまったことは、決してなかったことにはできない。壊れたものは元通りにはならないのだ。どんなに切望しても、永遠に手に入れることができないものもある。残酷だがそれは真実。
でも、再生はできる。全く同じにならなくても、別のなにかに。
行天が多田に向かって話す、自分の小指の話は胸を打つ。
>「傷はふさがってるでしょ。たしかに小指だけいつもほかよりちょっと冷たいけど、こすってれば、じきにぬくもってくる。すべてが元通りとはいかなくても、修復することはできる」
高校時代に多田と友人たちの不注意で、行天の小指を切断する事故があったのだ。幸い小指はつながったのだが、今もその指にはくっきりと傷跡が残り、青っぽく神経が通っていない。
この作品は、欠落や闇を抱えたまま、それでも精一杯、生きていく人たちの喪失と再生の物語なのだと思う。


【余談】
三浦しおんの文章は小説でも、エッセイでもするすると、とても読みやすい。ライトノベルやその類のように、薄っぺらいというのでは決してない。ほかに表現ができないので、するするという感覚なのだ。
この作品を読む前に、ドラマと映画を先に観てしまったので、多田は瑛太さ、行天は松田龍平で再現されてしまう。いつものならそのイメージが邪魔になるところだが、むしろはまりすぎていて不思議だったりする。あて書きなの?と思ってしまう。いや、もちろん違うけど。

この作品の舞台になっているまほろ市、何故か誰でも知っているような気がするのではないだろうか?どこにでもあるような東京郊外の架空の街、まほろ市。
私も昔、モデルになっているらしい町田近くに住んでいたことがある。町田にも何度か出かけた。その頃の匂いをふと、読んでいて思い出した。

最近、録画した映画や舞台を観ることに時間をとられていて、読書量がまた一層減ってしまっていた。するすると読めると本当にありがたいのだが、そうそう、都合よくもいかないのが現実。時間とエネルギーがもっと欲しいなぁ~。

只今、同じシリーズの『まほろ駅前番外地』を読んでいるところ。さてさて、今度はどんな事件?が起きるのやら。



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