真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『沖縄戦下の米日心理作戦』(大田昌秀 2004)

2010-03-17 | 読書-歴史
『沖縄戦下の米日心理作戦』
大田 昌秀【著】
岩波書店 (2004/12/15 出版)

知事時代、「政府を困らせる、活動家のような県知事」という印象をもっていた。
大学教授としてどんなご専門?というのは考えてみたことがなかったが、社会学(ジャーナリズム)ということでしたか。

プロパガンダもご専門ということで、マスコミをどう動かせばよいかも熟知され、その理論に基づいてダダこねて(シツレイ!粘り強い交渉を展開されて)いたの?

第1章 心理戦争とは何か
第2章 米国の対日心理作戦
第3章 日本の対米心理作戦
第4章 沖縄上陸作戦に向けて
第5章 激戦のさなかで
第6章 心理作戦に効果はあったのか

stowaway blog: 神は細部に宿る
2006-06-24

[PDF] 心理戦における米軍の宣伝 ビラの目的と効果


◆ハワイの日系語学兵が、戦線の行方を展望して、米軍の沖縄上陸は必至⇒日本語が話せる兵士が行っても、住民に通じない事を懸念⇒事前準備の必要性をアピールし、沖縄出身者のチームを編成、というエピソードが興味深かった。

日本語を解するベネット軍医の手記によると、老人の対応に現地で保護した子どもに島ことばの通訳をさせたという記述があった。
そのような事態を事前に予想した語学兵もいた、ということね。

◆ビルマ戦線で配布された「軍陣新聞」の写真が第2章の扉に掲載されており、その裏の解説に「米国在住の岡敏樹を中心に作成され」とあり、米軍が作成したものとしている。

『プロパガンダ戦史』(池田徳真、1981)(2/15付参照)には、
イギリスの傑作『軍陣新聞』
という節があり、敵がビルマの前線で飛行機から撒いている『軍陣新聞』(デリー発行)を恒石参謀と2人で検討したくだりがある。

池田氏らは、これをイギリス流の正統対敵プロパガンダ理論の流れを汲む、極めて優れた作品と判定する。
中公新書の執筆時点では、「岡某」がこれに関与したということは池田氏は知らず、第1次大戦で優れた対敵宣伝を行ったイギリスの大御所の弟子筋の手になるものだろうと推定。

岡敏樹(大田)ではなくて岡繁樹が正解のようだ。
「デリーで作成してビルマ戦線」なので、英軍の手になるという推定には説得力があると思ったのだが、web上で見かけた資料には、英軍説と米軍説の両方あった。

岡繁樹 おか‐しげき
ブラック・プロパガンダ
"岡繁樹の場合 
幸徳秋水や堺利彦ら社会主義者と親しかった一世、岡繁樹は戦前、カリフォルニア州オークランドで日系新聞を発行していたが、開戦後、ニューデリーでイギリス軍の情報部の要員になり、カール・ヨネダらOWIと協力して『軍陣新聞』やビラをつくって、対日本軍のプロパガンダ活動を行った。"

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの用語解説
"第2次大戦ではインドで日本活字の「軍陣新聞」を製作、ビルマ戦線の日本兵に投降をよびかけた。"

Portraits of Japanese Immigrants in the Early Years
"太平洋戦争時、米軍に参加しインド方面で対日本軍工作に従事、ビラの作成などにあたる。"

アメリカ日系移民史群像 あ行
"太平洋戦争時、ハートマウンテン収容所に入れられた岡は日本の軍国主義に反対の立場を取った。アメリカの軍隊に加わってインドやビルマに赴き、第一言語である日本語を駆使して対日本軍のビラづくりや放送を手がけた。二世の活躍が目立つ中で、ここまでアメリカ軍に協力した一世は少なかったのではないだろうか。"

OWIは米軍の組織なので、英米協力しての作品ということかな?
The United States Office of War Information (OWI)

大田(2004)は、実物を詳細に検討した池田(1981)の深い分析には及ばない。
「こんなにもありました」とついでに紹介しただけなので、中味には立ち入っていない。

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