2019年2月27日(水)
こんにちはこんちゃんです😊
徳島旅行最終日に、国史跡「勝瑞城館跡」勝瑞城跡へ行きました😌
勝瑞は、室町時代に阿波守護細川氏によって守護所が置かれた地なんだそうです😌
その後に阿波の実権を握った三好氏もまた当地を本拠としたそうです😊
中央の政権で活躍した細川氏や三好氏の本拠地であった勝瑞は、当時、阿波の政治・経済・文化の中心地として大いに繁栄したみたいです😌
それでは始めます😊
こんちゃんのお城めぐり第147回「勝瑞城跡」です😃
まずは、発掘調査で見つかった勝瑞城館跡から見ていきました😊
「史跡勝瑞城館跡」の真新しい石碑が建っていましたね😌
勝瑞城館跡は、三好氏の居館跡と推定されており、発掘調査では16世紀中葉頃から徐々に拡張し、最終的には幅10mを超す大規模な濠で区画された複数の曲輪からなる城館の姿が想定されているそうです😌
「勝瑞館跡」発掘調査のあゆみというパネルが何枚か展示されていました😊
勝瑞城館跡は、三好氏の居館跡と推定されており、発掘調査では16世紀中葉頃から徐々に拡張し、最終的には幅10mを超す大規模な濠で区画された複数の曲輪からなる城館の姿が想定されているそうです😌
「勝瑞館跡」発掘調査のあゆみというパネルが何枚か展示されていました😊
それによると、平成6年から「勝瑞城跡」の発掘調査が始まり、その調査で城跡の南側にも大事な遺跡がある可能性に気づいたそうです😌
当時長尾鉄工所があった場所で、工場の協力を得て平成9年から発掘調査を行い、状態も良く、貴重なものが多く発見されたことによって、「勝瑞城跡」は国史跡に指定され、長尾鉄工所の敷地は公有化されたそうです😊
発掘調査が終了した場所は、遺跡保護の為埋めもどした後、順に整備工事が行われているそうです😊
整備された所には、説明板などがありました😊
次に、「勝瑞城跡」の方へやってきました😊
現在でも濠が残っていました😃
基本的に平和な日々が続いた中世の勝瑞でしたが、天正期に入ると一気に激動の時代となり、この頃に勝瑞の防御のために土塁を持つ曲輪、勝瑞城跡が築かれたそうです😌
勝瑞城跡の方にあった、案内板です😊
基本的に平和な日々が続いた中世の勝瑞でしたが、天正期に入ると一気に激動の時代となり、この頃に勝瑞の防御のために土塁を持つ曲輪、勝瑞城跡が築かれたそうです😌
勝瑞城跡の方にあった、案内板です😊
「国指定史跡 「勝瑞城跡」」のプレートが後から貼られていました😌
国指定史跡になる前から案内板はあったのですね😊
案内板後半に、
「天正10年(1582年)土佐の長宗我部元親は十河存保の守る勝瑞城に大挙して押し寄せた。8月28日、存保は中富川の合戦で大敗を喫し、勝瑞城に籠城したが9月21日、讃岐へ退き、ここに勝瑞城は歴史の幕を下ろすこととなった。
その後、天正13年(1585年)の蜂須賀氏の阿波国入部により、城下の寺院の多くは徳島城下に移転され、町は衰退した。」
とありました😌
勝瑞城の歴史が天正時代に終わっていたことで、中世城館の遺構が残っていたのですね😊
土塁を確認することができるそうですよ😃
これ、でしょうか😊
土塁を確認することができるそうですよ😃
これ、でしょうか😊
平成9年に土塁から濠にかけて発掘調査を実施し、当時土塁は基底部幅約12m、高さ約2.5m、濠は上部幅約14mの大規模なものであったことが確認されているそうです😌
こちらは、藍住町指定有形文化財
こちらは、藍住町指定有形文化財
見性寺境内勝瑞義冢碑です😊
三好氏の歴史を記した碑なんだそうです😌
矢竹は、矢を作るために栽培される大型のササなんだそうです😊
在りし日の勝瑞城の名残かもしれませんね😌
現在見性寺の正面と思われるとこから出てきました😊
現在見性寺の正面と思われるとこから出てきました😊
こちらも濠が残っていました😌
入口付近に「史蹟 勝瑞城趾」の石碑が建っていました😃
入口付近に「史蹟 勝瑞城趾」の石碑が建っていました😃
こちらの石碑はずいぶん歴史がありそうでしたよ😊
以上でお城めぐりを終わります😌
以上でお城めぐりを終わります😌
遺構が残っている「勝瑞城跡」部分と、発掘調査で遺構が検出され、保存整備工事中の「勝瑞城館跡」部分、2つの違った残り方のお城めぐりが面白かったです😃
それではまた、どこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌