こんにちはこんちゃんです😊
この日のおでかけは、ワタシのお城めぐりだったのですが、お先にぺろ氏のスタンプを押しに行きました😌
なぜなら、こちらの高崎市箕郷支所に行けば、箕輪城跡の案内パンフレットなどが、手に入るのではないかと思ったからです😊
予想通り、こちらでパンフレットを頂くことが出来ました😃
吹き抜けに、歴代城主の家紋の幟が飾ってありました😊
パンフレットによると、箕輪城は、西暦1500年前後に長野氏が築城したそうです(左から3番目、長野氏の家紋、檜扇)😌
長野氏は武田氏の西上野侵攻に際して、箕輪城を本拠にして最後まで抵抗しましたが、永禄9年(1566年)に武田信玄に落とされたそうです😌
その後は、武田氏(右端、武田家の家紋、武田菱)、織田氏、北条氏(左から2番目、北条家の家紋、三つ鱗)、徳川氏といった戦国大名の拠点として、各大名の有力家臣が配置されたみたいです😊
最後の城主井伊直政は、徳川家康の家臣の中では最大石高の12万石で封じられたそうです(右から2番目、井伊家の家紋、丸に橘)😃
その8年後の慶長3年(1598年)、井伊直政は城を高崎に移し、箕輪城は廃城となったそうです😌
真ん中のは高崎市旗でした😊
シュタッ❗
ぺろ氏、早くして下さい💦
ワタシは早くお城めぐりがしたいのです❗
ぺろちゃん「じぃ~😃」
さて、ぺろ氏の用事も終わり、搦手口にある史跡箕輪城跡駐車場へ移動してきました😌
ここからお城めぐりを始めます😌
本当にお久しぶりですね😅
それでは始めましょう😊
第138回こんちゃんのお城めぐり「箕輪城跡」です😃
まずは搦手口から入ってゆきます😌
搦手口には、外堀と搦手馬出があったそうです😊
それではワタシに付いてきて下さい❗タッタッタッ🐾
すぐに道が分かれてました😌
右は、直接「二の丸」へ行ってしまうようなので、左へ行き「郭馬出西虎口門」を目指します😊
すぐに見えてきたのが、「大堀切」です😃
箕輪城を南北に分断する堀で、堀の南側が落とされても城の主要部の北側を守ることができる役割を果たしているそうです😌
堀底を歩いて、土橋の下まで行ってみました😊
左上が「郭馬出」で、右上が「二の丸」になるんですね😃
「大堀切」の堀底から、遊歩道へ戻り、今度は南側から堀切越しに「郭馬出」を眺めました😊
復元された門も見えてきましたよ😌
南側にも曲輪が続いていました😊
こちらは「木俣」とゆう名称のついた曲輪です😌
郭馬出西虎口門です😊
平成28年11月に復元工事が完成したそうです😌
この虎口は本丸への登城ルートのうち、城南側からの2ルートが集約される防御上極めて重要な場所となっていたそうです😊
立派な櫓門が復元されていました😊
検出された箕輪城の城門の中では最大規模(幅5.73m、奥行3.48m)を誇り、箕輪城を象徴する城門の1つであったと想定されています😌
門を入ると、郭馬出になります😊
52m×27mの曲輪で、南側に出撃する拠点の役割があるそうです😌
大堀切に唯一ある土橋を渡ると二の丸へ行けるのですね😊
「郭馬出」の石碑から大堀切を見下ろしました😃
先程は、あの堀底から見上げていたのですね😌
振り向くと反対側にも大堀切が続いています😊
郭馬出西虎口門をもう一度出て、大堀切へ下りてみます😃
大堀切へ下りてきました😃
この堀を唯一渡ることができる土橋の基底部では、土留めの役割を果たす石垣を確認したそうです😊
こちらで見れた石垣は再現されたものなんでしょうね😌
大堀切をずうっと下って行きました😊
すると虎韜門駐車場に出ました😊
ここには、虎韜門の石垣が残っていました😃
こちら側が大手になるようです😌
次は、大手門のあった場所まで行ってみるところから始めたいと思います😊