増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

2006年2月24日 ダーウィンの誤謬

2006-02-24 21:10:54 | 近況
増田院長記

○Biology of Belief、信念の生物学の細部がおもしろいので少し紹介しよう。第2章「バカだねえ、環境だよそれは」から。

1、「種の起源」の著者、自然選択説の進化論の祖であるチャールズ・ダーウィンは次のように書いていた。「これまで犯した中で最大の間違いは環境、すなわち食物、気候などの、自然選択とは独立した、直接的作用に十分な配慮をしなかったことであると思う。…「種の起源」を書いた時、またその後数年間、環境の直接的作用の十分な証拠を見つけることができなかった。しかし、今やたくさんの証拠がある。」

2、「ダーウィンに追随した科学者は同じ過ちを犯し続けている。この環境の過小評価の問題は遺伝子決定論という形式の「自然」の過大評価を導いた。この信念では、遺伝子が生物を「支配」するのである。」

3、「遺伝子時代の幕開け以来、ひとびとは遺伝子の力に従属しているという考えを受容するようにプログラム化されてきた。…非常に多くの人が健康でない原因を心、身体、感情、霊性の原因の組合せに求めるのではなく、身体の生化学的機序の不十分性だけに求めている。」

4、「…単一の遺伝子の疾患は人口の2%以下であり、大多数は幸福で健康な生活を送ることのできる遺伝子を携えて誕生する。今日の災難である、糖尿病、心臓病、ガンなどの病気は幸福で健康な人生を中断させている。しかし、これらの病気は単一の遺伝子の結果ではなく、多数の遺伝子と環境の要因の間の複雑な相互作用の結果である。」

5、「特異的な遺伝子が生体の振る舞いと性格に関連している。しかし、これらの遺伝子は何かによって誘発されるまでは活性化しない。何が遺伝子を活性化するのか?その優雅な回答は「形而上学と遺伝子と発生の役割」というNijhoutの論文(1990年)で明らかにされた。この論文は遺伝子の生物支配説は長い間何度も繰り返されてきたために科学者はそれが仮説であり、真実ではないことを忘れてしまったと述べる。現実には、遺伝子の生物支配説は推測であり、これまで決して証明されたものではなかった。むしろそれどころか、最新の科学研究で否定されているのである。遺伝子支配は我われの社会では形而上学になっているとNijhoutは主張する。(中略)しかし、形而上学は科学的真実ではない。Nijhoutはこの真実を要約して次のように言う。「遺伝子の産物が必要な時、環境からの信号がその遺伝子の表現を活性化するのであって、遺伝子自体が緊急事態にふさわしい信号を出しているからではない。すなわち、遺伝子支配ということについて言えば、「バカだねえ、環境だよそれは」ということになる。」

それとヒトゲノムの衝撃についてのコメント。人の遺伝子がすべて解明される前まで、多くに人は8万から10万あるいは12万の遺伝子があると予測していた。ところが、たったの2万5000であった。

6、遺伝子研究でよく使われる線虫C.elegansの遺伝子数は約2万4000である。ヒトの遺伝子数はこれより1500多いだけである。ミバエの遺伝子数は1万5000である。このより複雑な生体は原始的な線虫よりも遺伝子数は9000少ない。また、実験用のマウスの遺伝子数はほぼヒトの遺伝子数と同等であった。

7、「ひとつの遺伝子、ひとつのタンパクという考えは遺伝子決定論の基本的教義である。ヒトゲノムプロジェクトがこの概念を崩してしまった今、生命がいかに働くかという現在の理論は廃棄されなければならない。」

8、「Epigeneticistたちの発見によると、栄養、ストレス、感情などの環境からの影響がその基本的設計図を変更することなくこれら遺伝子を修正する。そして、これらの修正は次の世代に継承される。ちょうど、DNAが2重ラセンを通じて継承されるのと同じように。」

この点は医療の核心に関わる問題だと思える。

○民主党がガセネタに飛びついて大失態を犯した。この党は本当に政権を奪おうとしている戦闘集団なのか。政権は奪取するものであって、棚からぼた餅で転げ落ちてくるものではない。小学生でもわかるガセネタに引っ掛かってしまう幼稚さ。

政権担当能力があるかどうか、そんなものは知ったことではない。あの知性のへったくりもなにもなかった暴力集団の薩長の武士団に江戸幕府に替わる政権担当能力があったか。あるはずもなかった。だから、実際には明治政府は旧幕藩の優秀な人材をどんどん登用せざるをえなかった。勤皇という錦の御旗があっただけである。

 しかし、この情報に弱いという体質は日本の伝統的弱さでもある。太平洋戦争中、アメリカは次の日本の作戦がどこに出てくるのか知りたがった。ある地名(暗号)が日本の電信に頻繁に出てくる。これがどうやら次の作戦目標らしい。そこで、アメリカ側はガセネタを流した。ミッドウェー島でアメリカ側が施設の改変をする方針であると。すると、その直後に日本側の電信にその頻繁に現れる地名が出た。そこで、アメリカは次の日本の作戦行動の目標がミッドウェーであることを知る。

 このようにして、日本のミッドウェー海戦の大敗北は情報戦において既に負けていたのだ。4隻の空母は突然空から米艦載機の急襲を受ける。待ち構えられていたのである。

 情報戦においてはDisinformationニセ情報の果たす役割が非常に大きい。虚虚実実の世界である。全く政治的にひ弱な民主党は赤子の手をひねられるようにいっぱい食わされてしまった。昔の社会党の爆弾質問をする議員の姿がいずれの陣営にとってもなつかしいのではないか。

○荒川静香選手の金メダルは大変素晴らしい。スポーツ選手で結果を出す選手は結果に拘泥しない。顕在意識で結果にこだわればこだわるほど、潜在意識は逆の方向逆の方向にいくことを知っているからだ。残るのは自分のベストを尽くすという一点である。これをOkness(構わない)という。メダルを取るまいが取れまいが構わない。結果はあとからついてくる。このニュートラルな気持ち。親や監督や友達やその他の人が私のメダルを取れないことがわかっても構わないという気持ち。あるのは自分の持ち味を全部出すという気持ち。これがゴールドメダリストのOKnessである。

 マウンドの投手のところに監督が行く。ピンチにホームランバッターの登場である。「インコースのホームランボールだけは投げるな」と指示する。投手はそこへ投げまい投げまいとするが、不思議とボールはそこに行ってしまい、ホームランで試合は負ける。ところが、「思い切ってど真ん中へ投げろ」と指示すると、速球でバッターは空振り三振となる。つまり顕在意識と潜在意識は逆に働くのである。

 実はこれはあらゆる人生における態度ととも通じている。まず、恐れ。人間は生にこだわればこだわるほど死が恐くなる。死のことを忘れよう忘れようとすればするほど死が恐くなる。これは死に縛られている。逆に言えば生にも縛られている。誰にもいつ死ぬなんか分からないのである。10分後に死んでしまうかもしれないはかない人生かもしれない。つまり、生きようが死のうが構わないという精神の自由が死の恐怖からの自由を得るのである。

 その日その日を充実して送る。自分のベストを尽くす。自分の本分を尽くす。これ以外に人生を生きる道はない。荒川選手おめでとう!
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