植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

東ティモール、植民地の傷跡

2007年08月15日 09時44分46秒 | 国:スペイン・ポルトガル
 皆さんは東ティモール民主共和国と言う国を知っていますか? 東ティモールは、インドネシア諸島の中にあるティモール島の東半分を国土とする独立国です。見てのとおり、インドネシアの中にある小さな独立国と言った感じです。
 どうしてインドネシアと別の国になったのでしょうか? これには植民地時代の歴史が関係しています。インドネシアはオランダの植民地から独立した国ですが、東ティモールだけ、ポルトガル領でした。その為、東ティモールだけ別の国として独立しました。

 ティモール島には、16世紀前半にマラッカ(マレー半島)を交易の拠点としたポルトガルが白檀を求めて進出してきます。しかし、17世紀に入るとオランダがこの地に進出して、18世紀に掛けてインドネシア一帯を支配下に置くようになります。
 そしてこのティモールにもオランダは進出し、西半分をその支配下に置くようになります。何度か、全島の支配権がオランダ・ポルトガルの間で行き来しますが、最終的に島を半分にすることで合意し、その際に決められた国境がそのまま今の国境となります。
 第二次大戦後、インドネシアがオランダから独立した後も、東ティモールだけはポルトガル領として残り続けますが、1975年ポルトガルの支配体制が緩むと、ついにフレティリン(東ティモール独立革命戦線)の活躍により独立を果します。
 しかし、その東ティモールをインドネシアが不当に占拠します。これは独立が全島に及ぶことを恐れたことや、マスクス主義に傾斜傾向のあるフレティリンを、反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権(当時)が容認できなかったこともがありますが、何よりもインドネシアが全島の領有権を主張していることがあります。※1
 そして20年に渡る弾圧と混乱を得て、東ティモールは2002年に独立したのですが、その後もこのような混乱が続いています。同様に植民地時代に起因するごたごたを持つ国も多く、植民地時代の傷跡と言っても良いでしょう。


※1:ちなみに日本は、石油輸送の大動脈であるマラッカ海峡を有するインドネシアとの関係を重視し、東ティモールの占拠を黙認しました。

東ティモール東部で旧与党支持者が暴徒化、死者も(朝日新聞) - goo ニュース

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする