植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

爵位(公)

2007年08月25日 09時01分37秒 | 雑談
 今回は、皇帝・王と続いたので、最後の難関の公についてです。日本語では、公や侯と訳されますが、実はいろいろなケースがごちゃ混ぜになっています。
 1つは王位のところで紹介した諸侯の君主であるプリンスです。彼らはれっきとした独立国の君主で、小国の場合もあれば大国にのし上がる場合もあります。

 もう1つは今回紹介する爵位※1としての公爵(デューク)や侯爵(マーキュス、フュルスト)です。彼らは皇帝や王に仕える封建貴族で、帝国や王国内に所領を持っている存在です。
 プリンスと違い必ず仕える上がおり、戦争などで要請があれば王国の一翼として軍隊を出したりします。基本的に所領内では、行政・司法など得ているため、所領内では君主のような存在です。
 フランスにあったブルタニュー公、ノルマン公、ブルゴニュー公などは中世までフランス王に仕えながらも、半独立国のような存在でしたが、次第にフランスの王権に取り込まれていきました。
 一方、ドイツのバイエルン公、ザクセン公などは、三十年戦争の結果神聖ローマ帝国の権力が低下した為、実質独立国のようになります。しかしそれでも名目は神聖ローマ帝国の封建下にあり、18世紀のポーランド継承戦争では皇帝の招集により、軍隊を派遣したりしています。

 これら公爵(デューク)や侯爵(マーキュス、フュルスト)は、公(プリンス)と異なり、王位を得ることは当然難しいです。
 得たケースとしては、ブランデンブルグ辺境伯(マーキュス)のフリードリヒ1世がスペイン継承戦争の際に、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に対して兵を援軍として派遣することを条件に、神聖ローマ帝国の領域外のプロイセン(現在のロシア領カリーニングラード)における王号を認められています。
 また、同時期にサヴォイア公(デューク)ヴィットーリオ・アメデーオ2世は、スペイン継承戦争で獲得したシチリア島をオーストリアに割譲することで、代償としてサルデーニャ島とその王位を認められ、サルデーニャ王国を成立させます。
 このどちらのケースも帝国領内での王位ではなく、領土外で初めて王位を得る事が出来ます。

 なお、現在残っている公国としては、ルクセンブルク公国が神聖ローマ帝国封建下のデュークで、リヒテンシュタイン侯国がフュルスト※2の国です。モナコ大公国は、帝国外のジェノバ共和国領内に出来た国だった為、プリンスの国※3です。


※1:日本的な爵位だと位ですが、中世の公爵や侯爵は爵位だけで無く、所領を持っています。その為、公爵や侯爵と表記せずに公・侯と表記する方が一般的です。近代になり、王権が強くなり諸侯の所有する領土が無くなると、単に位や称号となっていきます。

※2:ドイツ語の侯爵であるフュルストは、英語ではプリンスとなってしまい、英語表記では、プリンシパリティ・オヴ・リクテンスタインになってしまいます。しかしながらドイツ語ではフュルステントゥーム・リヒテンシュタインであり、歴史的にも、当時のリヒテンシュタイン家が買収したファドゥーツ伯爵領とシェレンベルク男爵領とを併せて侯領とすることを皇帝から認可を得たのが始まりです。

※3:モナコは、それまで単に「領主」と言う肩書きだったのですが、16世紀後半からスペインの支配下に置かれ、その中で17世紀には大公(プリンス)を自称し、スペインにも大公の称号が許可されています。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント (2)
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