植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:劉基

2011年02月13日 09時07分54秒 | ゲームシステム
所属:劉繇→孫策→孫権
年齢:約14歳(200年の時)

 普通はゲームでは扱わない劉繇の子の劉基です。ゲーム上10人目の群雄として劉繇を採用したので自動的にその息子 劉基の採用も決まりました。しかし、実は史書に記述が無かったり、凡庸だった訳ではなく、そこそこ経歴や逸話まで残っている有能な人物です。
 劉基は、父が孫策に追われて豫章で没したため、そこで慎ましく家族を養って暮らしていました。そこにかつて父の部下だった者が現れても、見舞品などは一切受け取らず、深い関係にはならないようにしていました。もし、父の部下と深く関われば次第に多く旧臣が集まってしまい、それはじきに豫章をも支配下に治めるであろう孫策に敵対することに繋がりかねないと言う聡明な判断からでした。

 そして暮らしているうちに孫策が豫章を治めると招かれ、仕官することになります。劉基は史書に記されるほどの美青年で、孫策の後を継いだ孫権に気に入られます。またそれだけでなく、特に内向きの政治が得意で財政を管理する司農や、宮中を管理する光禄勲などを歴任します。そんな彼を孫権は大変気に入っており、あるとき孫権が船上で酒宴を開いた際に、突然の雷雨に見舞われました。皇帝たる孫権は大きな傘を差し雨宿りします。しかし、家臣は皇帝と同列と言う訳にはいかないので、傘をさせずにスブ濡れです。しかし、孫権は劉基にも同じ傘を差し掛けるよう命令したとあります。どうでしょう!この気に入りようは!
 また、気骨がある逸話も残っています。あるとき、酒宴で孫権は自分を侮辱した虞翻に腹を立てて、酔いに任せて殺害しようとした。しかし、劉基が懸命に諌めた為、虞翻は救われます。さらに孫権は酔いが冷めた後、反省し自分が酒を三度呑んだときの殺害命令は聞かないよう周囲に厳命したとあります。

 そんな劉基は、僅か49歳で病死します。その死の際の贈り物の量は張昭に匹敵したといいます。

 さて、能力ですが戦いの記述が一切無いので、統率と武力は1です。内向きの内政官という事で、政治4(少し上げすぎの気もありますが)の、知力は逆に落として2としました。
コメント
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