植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:徐晃

2011年02月19日 08時04分27秒 | ゲームシステム
所属:曹操
年齢:約35歳(200年の時)

 魏の五将軍の1人です。夏侯惇や夏侯淵、張遼に比べると若干マイナーですが、実は常勝無敗の戦績を持つ「常勝将軍」です。徐晃は初め車騎将軍 楊奉に仕えます。楊奉に献帝の保護を訴えたり、曹操に帰服を勧めるなど適切な進言をしますが、最終的に楊奉が曹操と敵対した為、以降徐晃は曹操の元で働くこととなります。
 その後の活躍が凄い! 呂布戦では呂布配下の2将軍を降伏させ、さらに曹操に反乱を起こした劉備を下し、その後の官渡の戦いでは、白馬で主力を率いて顔良と戦い、関羽が顔良を討ち取れる状況を作り出します。さらに文醜の部隊を迎撃し、その後も袁紹の兵糧輸送隊を襲って焼き払うなどの戦果を上げます。
 その後も袁譚・袁尚の討伐、荊州、西涼と各地で功績を挙げ続けます。潼関の戦いでは曹操軍が渡河できない状況に対して、別働隊を率いて、敵の背後を突く動きをした為、これによって曹操軍が渡河でき勝利に貢献します。そして、夏侯淵を失い大敗した定軍山の戦いでも実は別働隊を率いて、蜀の陳式を討ち取るなど1人だけ功績を上げています。
 そしてもっとも活躍したのは、樊城の戦いです。魏の荊州の要である樊城を関羽が包囲、援軍に出した干禁らが水攻めにより、大敗した後での救援です。とり急いだ為、徐晃の率いる兵は新兵ばかり、この急を要する事態でも徐晃はあせらず状況分析を行い、樊城が持ちこたえると踏んで、更なる増援部隊が来るのを待ちます。そしてその増援がくると樊城の近くの城を攻め無血開城させると、そこを拠点としてさらなる増援の到着を待ちます。十分な兵が集まると遂に関羽を攻めます。その際、関羽が拠点としている囲頭と四家のうち囲頭に攻撃を仕掛けると将兵に伝達します。これは関羽の間者によって知ることなり、関羽は囲頭を重点防備します。しかし、徐晃は攻撃当日に四家への攻撃に切り替えた為、関羽は急遽四家への救援に赴くことになります。その部隊を徐晃は打ち破り、関羽は樊城包囲を解いて撤退する事となります。
 この戦果を聞いた曹操は、徐晃は春秋戦国時代の兵法家 孫武にも勝ると絶賛します。さらにその功績を祝う酒宴の際、徐晃の兵のみが宴にも浮かれずに規律正しくしていることにさらに感銘を受けたといいます。
 その後もいくつかの功績を上げ、結局敗戦することなく、曹叡の代に病死します。
 
 常に戦いに勝つ為の戦略を巡らせ、また負けた場合のことも念頭に置いていたといい、その結果 常勝無敗でしたので、統率は5としました。武力は演義では大斧の使い手ですが、実際は指揮官として戦いに望んでいる為、3としました。政治は行っていないのでほどほどの2、知力は情報戦に卓越していましたが、その点も統率にいれたので2です。統率4で知力3と言う選択もありましたが、その能力は張コウにしました。
コメント
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