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謎解明は?~邪馬台国~

2018-06-24 21:16:47 | 歴史

邪馬台国論争「新たな段階」纒向遺跡で発見続々
6/24(日) 13:19配信 (読売新聞)


 邪馬台国はどこにあったのか? 古代史最大の謎を巡る論争は、新たな段階を迎えている。畿内説での有力候補地で、大和王権の発祥の地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、新たな発見や研究が相次いでいるからだ。長年の論争は決着に向かうのか、最新情報を追った。

 邪馬台国は、3世紀後半に成立した中国・魏(220~265年)の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する。2世紀後半~3世紀の倭国(日本)について記し、それによると倭国は70~80年にわたって乱れ、国々が戦い合った末、邪馬台国の女王・卑弥呼を立ててまとまったとされる。朝鮮半島から邪馬台国への道のりも記すが、倭の諸国間の方角や距離を大まかに示すだけで、どこにあったかは不明瞭だ。

 所在地研究は江戸時代に遡る。儒学者・新井白石は音の類似性から大和(やまと)国(奈良県)や筑後(ちくご)国(福岡県)山門(やまと)を候補に挙げた。明治時代には共に東洋史学者の内藤湖南(こなん)が畿内説、白鳥庫吉(くらきち)が九州説を唱えて論争に発展した。九州にあった邪馬台国が畿内に移ったとする「東遷(とうせん)説」も提起された。

 畿内説のよりどころが纒向遺跡だ。東西2キロ、南北1・5キロの大集落で、3世紀初めに突如出現した。九州から関東までの土器が見つかり、日本最初の「都市」とされる。2009年に3世紀前半~中頃の大型建物跡群が出土。東西に方位をそろえ、規模も当時最大。邪馬台国の時代と合い、「卑弥呼の宮殿」説もある。