昭和世代にとっては淋しいニュースです。
「赤チン」最後の1社が製造終了、最盛期は100社
12/20(日) 7:00配信・日刊スポーツ
「三丁目の夕日」や「ちびまる子ちゃん」でも描かれた昭和を代表する消毒薬「赤チン」の製造が終了する。国内唯一のメーカー三栄製薬(東京・世田谷)が24日製造、25日包装分をもって終了することを明かした。
1939年(昭14)、日本薬局方(国が定めた医薬品の規格基準書)に収載された赤チンは、最盛期の60年代、全国約100社が製造。三栄製薬でも月10万本を出荷した。ヨードチンキ(ヨーチン)に比べ染みず、痛くないことから、保健室や家庭に欠かせず、擦り傷や切り傷ができた子どもたちの膝や肘は赤く染まっているのが定番だった。
71年に無色でスプレーの「マキロン」が登場。一方、赤チンは原料のマーキュロクロムを製造する際、水銀が発生することから国内での原料製造が73年に終わり、徐々に時代に取り残され始めた。三栄製薬の藤森博昭社長(59)によると、海外から原料を調達して製造を続けるメーカーは2000年代に入ると3社になっていたという。
15年に1社が倒産。18年末にもう1社は製造を終了し、三栄製薬だけになった。「水俣条約」(水銀を使用した製品の製造、輸出入を規制する国際条約)で12月31日以降、赤チンも蛍光灯などともに規制対象となることから、三栄製薬も幕を下ろす。「知っているのは昭和の人たちだけになりましたが、全国に根強いファンがいて『母親に塗ってもらった記憶がよみがえります』『大事に使っていきます』と手紙を送って下さいます。先代が最初に作った製品で70年近く作ってきたので作れなくなるのは寂しいし、残念です。長い間、お使いいただいてありがとうございました」と藤森社長は話している。
◆赤チン マーキュロクロム水溶液。「赤いヨードチンキ」の意味だが、ヨード(ヨウ素)もチンキ(エタノール)も入っていない。ライバルとなった「マキロン」は発売当初、子どもたちの間で「白チン」と呼ばれた。
「赤チン」最後の1社が製造終了、最盛期は100社
12/20(日) 7:00配信・日刊スポーツ
「三丁目の夕日」や「ちびまる子ちゃん」でも描かれた昭和を代表する消毒薬「赤チン」の製造が終了する。国内唯一のメーカー三栄製薬(東京・世田谷)が24日製造、25日包装分をもって終了することを明かした。
1939年(昭14)、日本薬局方(国が定めた医薬品の規格基準書)に収載された赤チンは、最盛期の60年代、全国約100社が製造。三栄製薬でも月10万本を出荷した。ヨードチンキ(ヨーチン)に比べ染みず、痛くないことから、保健室や家庭に欠かせず、擦り傷や切り傷ができた子どもたちの膝や肘は赤く染まっているのが定番だった。
71年に無色でスプレーの「マキロン」が登場。一方、赤チンは原料のマーキュロクロムを製造する際、水銀が発生することから国内での原料製造が73年に終わり、徐々に時代に取り残され始めた。三栄製薬の藤森博昭社長(59)によると、海外から原料を調達して製造を続けるメーカーは2000年代に入ると3社になっていたという。
15年に1社が倒産。18年末にもう1社は製造を終了し、三栄製薬だけになった。「水俣条約」(水銀を使用した製品の製造、輸出入を規制する国際条約)で12月31日以降、赤チンも蛍光灯などともに規制対象となることから、三栄製薬も幕を下ろす。「知っているのは昭和の人たちだけになりましたが、全国に根強いファンがいて『母親に塗ってもらった記憶がよみがえります』『大事に使っていきます』と手紙を送って下さいます。先代が最初に作った製品で70年近く作ってきたので作れなくなるのは寂しいし、残念です。長い間、お使いいただいてありがとうございました」と藤森社長は話している。
◆赤チン マーキュロクロム水溶液。「赤いヨードチンキ」の意味だが、ヨード(ヨウ素)もチンキ(エタノール)も入っていない。ライバルとなった「マキロン」は発売当初、子どもたちの間で「白チン」と呼ばれた。
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