導かれる日々

だれでもできる、心、からだ、魂のセルフケアを綴っています。
読んで、感じて始まるプロセスを楽しみましょう^ - ^

父と娘②

2023-07-07 19:35:00 | 私のメンテナンス

父と娘 - 導かれる日々

「過労とストレスですね。職場環境要因はもちろんありますが…お父さん、娘さんは真面目で手がかからない、いい子だったでしょう?親御さんはじめ、まわりのの期待に応えよう...

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(前編はこちら👆)


「家に、地元に帰ってきていいんだぞ。
お前には帰る家があるんだから。」

ぶっきらぼうに話す父親は次の瞬間

「さっき先生にああやって言われて俺は…俺は情けなかった…」

とうなだれ、溢れる涙を堪えていた。

当時のわたしはその姿を見て
その声を聞いて疑問が次々に湧いてきていた。

なんでお父さんが情けないの?
わたしがこうなったから?
わたしがストレスに弱かったから?
だからお父さんが情けないの?

聞きたいことは沢山あるはずなのに
それを訪ねる気力が、そのときのわたしにはなかった。

わたしの父親はもともと、自分の感情を言葉に出す人ではない。
いわゆる昭和の頑固親父みたいな男である。

仕事の実績や、知識の豊富さを
どうだと言わんばかりに饒舌に語ることはあっても、何を感じて生きているかなんて聞いたことがほとんどなかったし、
なんとなくそういったことは話したくないのかなと感じたことも多々あって

わたしから 
「どう思っているの?」などと尋ねたことはほぼなかった。

そういう質問、実際過去にしたことあるにはあるけれど、必ずと言っていいほど父は不機嫌になる。声を荒げて出ていくことすらあった。

その父親の不機嫌を浴びるのがとにかく嫌で、わたしはある時期からどんどん父親と話すのが億劫になってきていたのだった。


父親の不機嫌の責任は
わたしにはないのにね。

父親が感じた情けなさに
わたしが直接関与したわけではないのにね。ついでにいうと関与したからって、なに?

って今のわたし、40代のわたしは
そこらへんは切り離して思うようになるのだけれど

25年前のわたしはそんなふうには到底思えなかったから、

息が詰まるように苦しい時間が夕暮れの病室をどんどん満たしていくのを
ただただ眺めることしかできなかった。





その日から約四半世紀の月日が経った
2023年7月7日、梅雨の合間の暑い朝のこと。

いつものように朝の公園を歩くわたしは
止まっていた時計が突然再び動き始めたかのように、この病室のシーンを思い出すことになる。

それはまるで映画の途中から急に再生ボタンが押され、それを観させられているようだった。

そこで見た父親の姿はというと
表情、佇まい、手足の力の入りかたに至るまでわたしの記憶の中の父親よりもかなりはっきりとした輪郭を帯びていた。

そしてその背中からは
悲しみとも苛立ちともつかないような何かが大量の湯気のように立ちのぼっているように見える。

そして、父親が放った
「情けなかった…」の言葉の裏にあった
後悔の念ややりきれなさ。

こちらにはそれらがまるで伝わっていないのが滑稽に思えるくらいに

溢れんばかりの不器用な愛情が
その一言と涙と湯気に混ざって伝わってきて、なぜか現在のわたしの目から涙が溢れてきたのだった。

「父親はわたしを 
ちゃんと大切に思ってくれていたんだ」

急に再生された映画は、 いろいろな細かい演出やカメラワークも含めて昔見た映画とまるで違って見えた。

なぜ今なのか
なぜこのシーンなのかはさっぱりわからない。
ただ、この一連の流れが必然であったことはなぜか深く信頼している。
そこに全く根拠はないのだけれど。

最近、パートナーシップに関わるいろいろなものを、とことん癒していく流れのなかに身を置いている自覚、さすがに鈍感なわたしにもある。

そして
父親との関係のなかにその鍵があることも薄々気付いてはきていた。

意地を張って、

父親からの愛を受け取らないと決めてみたり

幸せや健康をあえて選択しないことで、父からの愛を確かめてみたくなったりしていた自分がいたのだと気づいて

いまさらだがなんともいたたまれない気持ちになる。

…そんなことしなくたって、じゅうぶんに愛されていたのに

目に見えない
言葉にならないだけで。

何もない中に全部ある

のは、ここでも真実なのだろう。

それに気づくだけ
それだけで、世界は180度変わる可能性があるし、皆それぞれの人生映画の結末もガラッと変わってしまうのかもしれない。

うちの父娘の場合でいうと

情けなさを感じる自由が父親にはあるし

父親の涙とわたしのからだの具合を切り離す自由がわたしにもある。

父は父でわたしはわたし。

お互いが自らの足で立って、
「やさしい言葉が欲しい」と伝えてもいいし
「恥ずかしいから言えない」と応えてもいい。

断られる=愛されていない
望みを話す=拒絶される
成り立たない架空の公式ならば2023年の今からでもすっきり手放してしまえばいい。


父と娘のとある一日の一場面。

時空を超えて
実は思い切り愛し愛されていたことに気づいたという結末を今朝のわたしはしかと見届けることになった。

そしてそのおおいなる流れに、わたしは安心して身を委ねていたのだった。

今日は7月7日。

夕刻の空はどこまでも高く
細かい鱗雲がキラキラ光っている。

天の川はいったいどこに流れていくんだろうか。




そして今夜も星々は出会い、響き、
どんなふうに輝きを増すのだろうか。

2023年、七夕の夜が、ゆっくりと更けていく。

(おわり)


….…

みなさま
こんばんは😊

いつもとすこし違う感じの記事に
いつのまにかなりました😅
いかがでしたか?

結局、退院後もわたしは田舎に帰らず、
東京で働きながら一人暮らしを続けました。

この選択がなかったら、全く別のシナリオで生きていたんだと思います☺️


そして、久々の小説風味な感じ、わたし書いていてかなり楽しかったですー✨

今後また急にこんなふうに始まるかもしれませんが、よろしければ読みにきてくださいね☺️

みなさま
素敵な七夕の夜をお過ごしください✨

ではでは

またー✨


さら


………

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父と娘

2023-07-07 11:01:00 | 私のメンテナンス
「過労とストレスですね。
職場環境要因はもちろんありますが…

お父さん、娘さんは真面目で手がかからない、いい子だったでしょう?
親御さんはじめ、まわりのの期待に応えよう応えようとここまで無理してきた側面があると思いますよ。」

診察室で主治医の先生が
当時20代前半のわたしの肩越しの
父親に向かってこう言った。

わたしが入院すると聞いて
急いで上京した父。

どんな表情でこの言葉を彼は聞いたのだろう。

こう思えるようになったのは
自分も親となり、40代半ばを過ぎ、
当時の父の年齢を超えたからということも
関係しているかもしれない。

(10年前もヒーリングのクラスのなかでも
同じ場面を思い出したことがあったが、この目線では見れていなかった。
映画に例えるとカメラワークが変わったような感覚にちかいかも…)


そして
20代当時のわたしはというと、

「先生、よくぞ言ってくれました…
ほんとうに、そうだったかも…」

って力なく目線を足元に落としながら
ちょっぴり
「ザマアミロ」
と思ってしまった自分に驚いていたのだ。

診察を終え病室に戻り、
父親と向き合って座る。

はじめてそこでわたしは父の涙を見た。

(つづく)

…なぜか唐突に始まった小説風味の記事ですが!また続きは後ほど更新しますね😊
なんだろこの流れは?まあいっか。


ではではまたー✨

さら

………

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