中区役所のツイッターに「北仲橋から万国橋へ至る水際に公園が整備されたよ!」というツイートが出ていたので、先月と今月、2回にわたって散策してきた。 最初に訪ねたときはで風景はイマイチだったのだが、次に行った日は快晴 そんなわけで写真が混在していることをお許し願いたい。 冒頭の写真は万国橋側入口からの眺め。 これが全体図。 海岸線は基本的にあまり変更していないようだね。 北仲通北地区再開発協議会なんていうのができている。 プロムナードはこの協議会が暫定的に整備したようだ。 今後は、こんな風になるらしい。 万国橋。 向こうに見えるのは「ナビオス横浜」だ。 潮が引くとこんな浜みたいなのが出現してくる。 プロムナードを先に進んでみようかね。 対岸に目をやると汽車道にかかっている港三号橋梁が見える。元は大岡川橋梁として大岡川河口に架橋されていたものだ。 解説板にはこんなことが書いてある。 大岡川橋梁は北海道の夕張川橋梁〈明治39年(1906)架設〉と総武鉄道江戸川橋梁〈明治40年(1907)製作〉を転用し、3連の100フィート・ポニー型ワーレン・トラス橋として、昭和3年(1928)に旧生糸検査所引込線に架設されました。この橋は、そのうちの旧夕張川橋梁の橋長を短縮し、平成9年(1997)に移設したもので、イギリス系トラス橋の遺構として貴重なものです。 港二号橋梁。 解説板に書かれているのは… この橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作され、明治42年(1909)に架設された100フィートの複線トラス橋です。重量機関車の出現により、それまでのイギリス系トラス橋にとってかわり、明治30年代から主流となったアメリカ系トラス橋の遺構として貴重なものです。 護岸の石は昔のモノをそのまま使用しているようだ。 私は工事中の風景を何度か眺めていたのだが、石を外してすべてに番号をつけていたので、たぶん元通りに復元したのだと思う。 帝蚕倉庫が見えているが… 1棟だけ残して他は解体されてしまったのだ。 残されたこれは今後どうなるのだろうか。 最近よく見かける花。 芥子の仲間のようだが… 外来植物らしいね。 北仲通北第2公園。 こんな遊具があるけど… 遊びに来る子供がいるのだろうか。 ジャングルジムなのかな… 注意書き。 さらに進むと、海岸線にこんな階段が見えてきた。 フェンスがあって降りることはできない。 この辺は古い砂浜があったところだ。 引き潮になると、こんな浜が現れるよ。 潮が満ちてくると隠れてしまう。 護岸の石は、相当古そうだ。 新しくしないで良かった、良かった。 先に何かが見えてきた。 レンガと案内板がある。 燈台発祥の地記念碑だ。 解説板を読むと… 交易船舶の安全のため、西洋諸国から灯台の建設を求められた明治政府は外国人技師を招聘し、明治2年に灯台事業を担う役所として「燈明台(とうみょうだい)局」を、さらに明治7年には「燈明番(とうみょうばん)」(いわゆる灯台守)の教育及び建設する灯台の試験調整を行うための「洋式試験灯台」を、ここ横浜元弁天(現在の中区北仲通6丁目)に設置しました。 「洋式試験灯台」の完成時には、明治天皇、皇后両陛下の行幸啓を仰ぐ栄誉にも浴した由緒ある地でもあります。 「燈明台局」は昭和23年、海上保安庁燈台局として東京に移転しますが、それまでの約80年にわたり、日本の灯台事業を全国展開し、また、最先端の西洋技術を習得した多くの灯台守を全国へ送り出すなど、まさにこの地を起点として、我が国海上交通安全の礎が築かれていきました。 この地が日本の近代化に大きく貢献した灯台事業発祥の地であることを後世に伝え、また、先人の偉業を称えるため、「洋式試験灯台」の基礎として使用していた当時のレンガをその証とし、記念碑を設置します。 平成27年3月 海上保安庁第三管区海上保安本部 と書いてある。 北仲通北第一公園。 灯台局跡地付近から新港ふ頭方面を眺める。 北仲橋から見た風景。 隣接する高層住宅から俯瞰してみた。 この一帯は由緒ある場所なのだ。 この記事はここで終わるけど、少し昔の写真があるので、それを次回にご覧いただこう。 乞うご期待を。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
是非世界遺産に御登録を!
汽車道も、見渡せば高層ビルになってしまうのですねえ。
あの建物はそのまま横に移動すると聞いていましたが、
なかなかやらないですね。
どうなるのか…
海上保安本部とは関係ないから、
弁天時代は書かないのでしょうね。
おもしろい絵が残っていますので、
あとでアップします。
ありがとうございます。
今は更地が多いですから、ランドマークタワーやMM21がよく見えますね。
とくに夜は美しいです。
でも、この辺はいずれ高層ビルが立ち並びますので、
風景はガラリと変わってしまうでしょう。