新約聖書の中に「善きサマリア人」の話が出ている。「ルカによる福音書」第10章25節から37節にある、イエス・キリストが語ったたとえ話だ。 そこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、 「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 彼に言われた、 「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 彼は答えて言った、 「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 彼に言われた、 「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、 「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。 イエスが答えて言われた、 「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 翌日、デナリ2つを取り出して宿屋の主人に手渡し、 『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 彼が言った、 「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、 「あなたも行って同じようにしなさい」。 このたとえ話とは全然比較にならないが、むかし体験したことを思い出したのでメモしておこう。 あれはまだ20代の頃。寒さの厳しい2月だった。後輩のエヌ君と関内のライブハウスで飲んでいるうちに終電がなくなってしまった。 こうなるとタクシーで帰るしかないのだが、手を挙げても一向に止まってくれない。 『仕方ないね、ヒッチハイクするかな』 エヌ君がつぶやいた。 まさかこんな都心部で見知らぬ車が止まって、しかも乗せていってくれるのかと思ったが、彼は通りかかる乗用車に次々と手を揚げはじめた。 しかし、誰も止まってくれない。そりゃそうだろう。ギターを抱えた小汚い若者が深夜にヒッチハイクをしようとしているのだ。こんなのを乗せたらなにされるか分からない、というのが普通のドライバーの気持ちのはず。 諦めかけたころ、宮城県ナンバーの大型トラックがやってきた。エヌ君はこれにも手を揚げた。 そうしたら意外にも止まってくれて、しかも事情を話すと「乗って行きな」というではないか。 そのトラックは宮城に陸揚げされた魚介類を南部市場まで輸送する途中だったのである。 助手席に座り、いろいろ話を聴いた。 積んできた魚類を市場で降ろし、そのまま何か(名前を忘れた)を積み込み西日本に向かうのだそうだ。 そして行った先で別な物を乗せて宮城に帰る。 会社に帰っても、自宅に戻る暇はない。次の業務が待っているのだ。こんな生活をしているから、家に帰れるのは数日後になる。 大型トラックのシートは2列になっていて、後部座席には毛布が置いてあった。ここが彼のベットだった。 過酷な労働者の話を聴いているうちに新杉田に到着した。 『そこのスナックが開いているから、何か食べて行こう』と運転手。 予定より早く横浜に着いてしまったので、時間はたっぷりあるという。 ここまで来れば我々も歩いて帰れるので、その店に入った。 3人が食べたのはナポリタンスパゲッティ。 『喉も乾いただろ。なんか飲め』 ということで、我々はビールを、彼はジュースを注文した。 ここでも飲み食いしながら、東北や業界の話を語り合った。 やがて市場が開門する時間が近づいてきた。 お礼を兼ねてここの食事代を出そうとしたら、逆に我々の分まで彼がおごってくれてしまった。 あの時の運転手さんは宮城県の人だったが、一昨年の大津波では流されずに助かっているのだろうか。 我々にとって、善きサマリア人のような人だったので、おそらく生き延びているはずだ。そう思いたい。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
ーさんのような人間になりたいと思いますが、なかなか・・・
私も善き隣人になりたいと思いながら…