JR根岸線「山手駅」と本牧通りを結ぶ一直線の道路がある。距離はおよそ600メートル。異様に長いのだが、これは何かというと、開港当時、イギリス軍が射撃訓練に使っていた「鉄砲場」の跡なのである。本牧通り側から山手駅側に向けて撃っていたという。 この通りにはもう一つ「なぜだろう?」と思うものがある。 道の中ほどから商店街灯のデザインが変わるのだ。ポールはどちらも同じような深緑色をしているが、手前のは昭和っぽい白い丸型であるのに対し、その向こうに見えているのはランタン風でオシャレな感じ。 この違いは何なのか。それはこの町の近くを通る鉄道の歴史と大きくかかわっている。現在、本牧通りには市営バスが、その反対側の立野小学校側には根岸線が走っているが、昔は本牧通りの市電だけがこの商店街への公共交通機関だった。 そのため、商店街は通りから中ほどまでという短い距離だった。それらの商店で構成していたのが大和町商栄会である。 その脇道にもかつては店があった。奥に緑色の日よけが見えるのは、昔の駄菓子屋だ。白い丸型の照明がその名残。 昭和39年(1964)、東京オリンピックを契機に根岸線が桜木町から磯子まで延伸。そのとき、一直線の道路の反対側に山手駅ができ、根岸の丘に住む人たちにとっては市電やバスを使わず、電車を利用して通勤通学ができるようになった。 そうなると駅近くに商店が建ち並ぶことになる。そのお店が集まって形成されたのが山手駅前商和会だ。なぜ元からある商店会で一つにまとまらなかったのかは分からないが、とにかくそんな鉄道の歴史とかかわって二つの商店会が存在しているのである。 商店街の中に残っている商業遺産。大和町フードセンターだ。かつては相当賑わっていたのだろうね。 側面。お店の人たちはここから出入りしていたのかな。 そして従業員は2階に住んでいたようだ。昔の市場って、そういう構造が多かったらしいからね。 内部。壁にタイルが残っている。おそらくここは魚屋さんだったに違いない。 静かだ。 しばらく佇んでいると、どこかから威勢のいい声が聞こえてきたような気が…。 芥川龍之介が震災後の山手で聴いたのは、廃墟から漏れてきたピアノの音だったが、山手の下にあるこの市場跡で私が昔日の喧騒を感じたのも錯覚だったのか。 ※芥川龍之介「ピアノ」 大和町フードセンターの奥にあるのが第六天稲荷。 『中区史』によると、第六天稲荷の前に大井徳三郎一座の芝居小屋が(昭和)34年にオープンしたという。しかし、野毛方面に映画館や劇場ができるようになって、昭和40年代初めに廃業したそうである。本当なのかな? 『中区史』をそのまま鵜呑みにすることはできないので、これは後日、地図で調べてみる必要がありそうだ。 これが本当だとすると、もしかしたらこのフードセンターは昔の劇場の跡地に建っているのかもしれないね。 横の路地側からお稲荷さんを見る。 鳥居をくぐると一対の狐が。 これも『中区史』のよると、粕川與平奉納の像で昭和4年のものだという。 一対の石灯篭。どちらにも「野州足利町川島久兵衛」と刻銘がある。明治36年のものらしい。 明治時代、この町に「大和屋シャツ店」があった。その屋号が町名の由来になっているのだが、店は弁天通りにつくられ、現在は東京で営業中である。大和屋が生地を仕入れていたのが、栃木県(野州)の川島だった(中区史)。 社殿。 油揚げと宝焼酎が気になった。 社殿横にある一対の天水桶。いわゆる防火用水桶である。 津久新と書かれているが、よく分からない桶だ。『中区史』では戦時中に関内から持ってきたものだと言われているとか。 本体には判読が難しいが「川口」、「増田金太郎」、「安政六年」と浮き出ている。幕末の大砲鋳造家らしい。 後ろでひっくり返っている釜は何だろうか? 大和町フードセンター跡と第六天稲荷を見たあとは再び商店街へ。 ここは古いものがいろいろ残っている商店街である。 電報! 現在でも慶弔関係で電報を利用することがあるけど、それは自宅からインターネットを使って送るというもの。昭和30年代はこういう商店から電報を打っていた。もちろん公衆電話も店頭に置いてあり、電話の無い人はここからかけていた…と思う。 食堂「やまて」。 電話番号に歴史を感じる。 以前は641-8946だったのが、いつの日か623-8946に変わったのだ。 そうそう、忘れるところだった。この商店街には懐かしい銭湯もあるんだよね。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
いっきに昔へタイムスリップしました。
電話もテレビも、持っている家はそう多くなくて、テレビは近所中で観せてもらいに行き、
電話も借りたり取り次いで貰ったりするものでした。
結婚式でもないのに電報が届けられるのは
緊急事態でした。
懐かしい看板でした。
お店が開いていたら電報を打ってみたかったです。
冬桃さんのところへね。
横浜にはまだ黒電話を置いた店があります。
これは利用料を払ったら貸してくれるそうです。
現代では隣の家にテレビを観に行くとしたら、
ビデオ鑑賞の時くらいかな。
昔は一般食堂とか地元密着の蕎麦屋があって、
出前を頼んだり食べに行ったりしたものです。
それぞれ贔屓の店があったりして。
市場も多かったのに、どんどん閉まってます。
妙に長い直線道路だなぁ とは思っていましたがそういう訳だったのですね !!
子供の頃から行き来している商店街ですが、知らないことも多いですね。
大和町フードセンターは何店舗か入った複合商店でしたね。正面左が米屋でゲーム機が置いてあり良く通ったものです。
野崎医院の横の道辺りにとつかストアというスーパーみたいなのがあり幼稚園の帰りに母と買い物に行ってた記憶があります。帰りに久保商店でホシバベーカリーのレモンパンを買ってもらうのが楽しみでした。懐かしいです。
長々と失礼しました。
昔はイギリス軍が鉄砲の訓練をしていました。
今はBB弾を使ったイベントをやればいいのになぁと思っています。
大きな酒屋もありましたよね。
洋風の総菜屋さんも。
「山手食堂」が残っているのは嬉しいです。
≪野崎医院の横の道辺りにとつかストアというスーパーみたいなの≫は知りませんでした。