緊急事態宣言は解除されましたが、私は相変わらず自宅で自粛生活を送っております。世間では暇を持て余している方々も多いようですが、しかし自分には全く時間が足りません。 部屋の片づけ、資料整理、写真のデジタル化など、やることが多すぎるのです。そんな中から、今日はこんな新聞の切り抜きが出てきました。 もともとは横浜における映画館の歴史を調べるため、休日を利用して中央図書館へ行き昔の新聞記事をコピーしているのですが、つい横の広告なんかに目がいってしまい、無駄にコピーを増やししまうのです。捨てるのももったいないので、一応記事にしておこうと思い、また無駄な時間を費やすことに……。 冒頭の写真は昭和35年(1960)6月26日の神奈川新聞に掲載された広告。「SSS(スリーエス)トルコ風呂」の移転とミストルコ嬢の募集をお知らせしていました。 市電の停留場「尾上町」の前にあったこの店を3月15日、北陸銀行の隣に新築移転するというものです。それにともない、従業員を増やすため、ミストルコや事務員などの募集もしています。 50名も採用するなんて、すごい増員計画だったようですね。移転で大型化する計画だったのでしょうか。 電話番号もなかなか素敵です。フロイイ、フロイク、ムリハナイ♪ ということで、「SSSトルコ風呂」がどこからどこへ移転したのか、地図で調べてみました。この地図も本来は別の用件でコピーしたものなのですが、ここでも役に立ちました。 昭和31年(1961)の中区明細地図。たしかに「尾上町電停」前に「サンエスホテル」というのがありました。周辺は空き地だらけで、その中にポツンと建っていたようです。 そのホテル内にトルコ風呂とロシア料理店が入っていたのです。 これがなぜ移転することになったのか。横浜市の昭和30年代のWEBマップを見て、その理由が分かりました。 これですね。おそらく「有楽ビル」を建てるために立ち退きを余儀なくされたのだと思います。移転先は「北陸銀行」隣となっていますので、この赤く塗った部分の近くだったのでしょうが、ここにはそれは表示されていません。 昭和31年の「北陸銀行」周辺。なにもありません。この辺が候補地だったのでしょうかね。 昭和34年。隣は質屋と美容院です。 道路を挟んだ向かい側が空き地になっていますので、この辺が怪しい…… 昭和37年。いよいよ現れました「SSSトルコ風呂」。電話番号も2611ですので間違いありません。 「北陸銀行」のあった場所には現在、アパホテルが建っています。「SSSトルコ風呂」の跡には商業ビルがあります。 もう一枚、「ミス・トルコ」の募集案内。昭和35年2月22日の広告です。 野毛にあった「横浜温泉」が募集していました。 昭和31年の中区明細地図から。あの「武蔵屋」の向かい側にありましたので、往年の呑兵衛さんはご記憶があるのではないでしょうか。入り口にはアーチがあったと記憶しています。 終電に間に合わなくなった時など、大変重宝したものです。 「武蔵屋」の隣にあった松岡さん、松信さんは、いつだったか『はま太郎』に登場していましたね。 薄緑色に塗った部分、小さな飲み屋さんが並んでいますが、このなかの「文の家」には何回か入った記憶があります。もちろん昭和31年のはなしではなく、ずっと後のことですが。 ということで、今日もまた貴重な自粛時間を無駄に使ってしましました……。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
酔華さんのおかげで、自粛生活を楽しく過ごしてます。
協和銀行→三和銀行→?三菱UFJ
労金は野毛に有ったんですね。
その後、ウィンクル商会の隣に移転したのですかね?
昔は空き地が多くて、開港記念バザーは市役所先迄、
見せ物小屋が有りました。常盤町辺り迄かなあ?と思います。
どこまでも健康・真面目でなければ
ならなかったのですね、ミス・トルコは。
>ミドリムシさん
労金が野毛にあったことを、この地図を手に入れるまで知りませんでした。
その後、ウィンクル商会の隣に移転した……なんだか思い出しました。
通勤は考えられますけど、住み込みもあったんですねぇ。
住み込み・禁酒・禁煙。
真面目な生活をしていたようです。
私も同じです。
昔の記事を探していたのに、
ついつい、関係ない広告に目が行っちゃいます。