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昨日の朝日新聞に、こんな記事が出ていた。太平洋戦争の末期、南洋の孤島で日本軍にも米軍にも見放され、大量の餓死者を出したメレヨン島の話だ。 この島のことについては、以前にこのブログでも記事にしたことがある。 その前にも、もう一つ。 こんな新聞を読んで、改めて「追憶 メレヨン海軍戦記」を読み直してみた。前回のブログ記事では地図を掲載していなかったので、今回はその位置関係を見るために冊子に掲載されている概念図を貼りつけておきたい。 ![]() ![]() こちらはメレヨン島における海軍部隊配置図だ。 ![]() ![]() 前の記事にも書いていることだが、帰還率は階級が上の者ほど高い。彼らはしっかり食って体力を温存していたのだろう。 安倍政権の大臣や高級官僚が、疑惑を残したままうまく逃げ延びたことと、なんだかダブって見えてくるよね。 ![]() |
忘れられた人々がこんなにもいたのですね。
胸が痛みます。
そういえば、満州からの引き上げも、関東軍の
将校たちが一般人を残してさっさと逃げ、
中国残留孤児を生み出す状況に至らせたのでしたね。
きなくさい情勢になったいま、戦争絡みの話は
もっと語られなければならないと思います。
忘れられている人々は、たくさんいますよね。
多くの眼が南方に向いていますが、
北方でもたいへんだったんですよね。
シベリア抑留のことも、もっと知りたいです。
あの戦争は多くの人間をおかしくしました。
犠牲になった人々のことを思うと胸が詰まります。
南方もですが、樺太のこともっと知られて欲しいと思います。
関東軍のことではソ連と交渉した上層部の人間は許せません。何十万人もシベリヤに送られたのです。
私の知っている関東軍の中将は早くに家族を飛行機で帰国させています。ピアノまでですよ。
樺太や北方領土のことがあまり知られていませんよね。
私たちは沖縄ばかりに目が向いていたようです。
>関東軍の中将は早くに家族を飛行機で帰国させています。ピアノまでですよ。
すごいですね。
この人はその後、どうなったんでしょうかねぇ。
メレヨン島、初めて聞く名前です。
サイパンやトラック島など戦場となったたくさんの島の名は聞いていましたが、あまり知られず大勢の方々が亡くなっていたのですね。
後の世でも語られないことに胸のいたくなる思いです。
50歳台の人間ですが、今後ますます戦争の記憶は薄れていくばかりですね。
メレヨン島の事、教えて頂いてありがとうございました。
この本を手にするまでは、島の存在すら知りませんでした。
南洋のほかの島や、北方の島も知られていないのが多いのではないでしょうか。
精神が病んだということで、生涯を全うしたとは……
どんな状態であれ生き延びたのですかぁ…
やり切れませんねぇ。