自殺を容認するか否かの議論でポイントの一つになるのが「命の所有」だと思う。
簡単に言うと、命は誰のモノか。ということだ。
大多数の人が思いそうなことは、命はその人のモノだ。という意見。
しかし、その立場に立ってしまうと、自殺容認へのロジックに流れて行きやすくなる。
自分の所有物であれば、その所有権を放棄することも可能になる。
所有があるならば、所有しない選択もあって然るべきだからだ。
そこで、もう一つの考え方が、命は誰のモノでもない。つまり、命の所有者はいないという観点だ。
自分とは切り離されたモノを持つことを所有と表現するのが正しく、命はそうではない。
うーん、ここらへんがうまく説明出来ないなぁ。
まぁ要するに、命は所有していないので、自分の命を自分の意思で絶ってはいけない。という自殺否定派の意見になる。
あれかな、命には管理、監督権はあっても、所有権はないということだろう。
命の所有。これは中絶においても論点となる。
眠くなったので続きは今度。
簡単に言うと、命は誰のモノか。ということだ。
大多数の人が思いそうなことは、命はその人のモノだ。という意見。
しかし、その立場に立ってしまうと、自殺容認へのロジックに流れて行きやすくなる。
自分の所有物であれば、その所有権を放棄することも可能になる。
所有があるならば、所有しない選択もあって然るべきだからだ。
そこで、もう一つの考え方が、命は誰のモノでもない。つまり、命の所有者はいないという観点だ。
自分とは切り離されたモノを持つことを所有と表現するのが正しく、命はそうではない。
うーん、ここらへんがうまく説明出来ないなぁ。
まぁ要するに、命は所有していないので、自分の命を自分の意思で絶ってはいけない。という自殺否定派の意見になる。
あれかな、命には管理、監督権はあっても、所有権はないということだろう。
命の所有。これは中絶においても論点となる。
眠くなったので続きは今度。