最近は嫌でたまらなかった仕事が、そうでもなくなってきた。
人間、慣れれば人の靴を舐めるのも何とも思わなくなるものなのかな?(笑)
人の顔色を伺いながらする仕事に慣れはじめている自分に気が付くと嫌でたまらなかったが、最近は、それすらも感じなくなってきた。
社会に適応するって悲しいな…。
2月、3月は関連会社へ出向いて研修会を実施する機会が増える。
昨年は入社1年目の私が、入社20年目となる現場のベテラン社員に対して偉そうに講義をしていた。
決して見下している訳ではなく、ただそういう役割を与えられたから、その役をまっとうしているだけ。
売れないモノを、どうすれば買ってもらえるか。魅力のないものをどうすれば魅力的に見せることができるか。
私達の仕事は、ただ数字を上げろ!と言うだけではなく、どうすれば数字があがるかを机上論で説く。
そんな役割。
そして今年もその仕事があると思うと、胃が痛くなる。
結局、やっていることは綺麗事を並べて、こうやればできる!こう考えればできる!と宗教じみた洗脳。
ひねくれた見方をすれば、世の中の営利企業は大体そんな世界の中で動いている。
理想と現実。
希望と絶望。
自己陶酔と自己嫌悪。
双極性障害の様な浮き沈みを繰り返しながら、私は手探りで生きていっているんだろう。
そういえば、以前にも似たような経験をしていた。
大学時代、小中高生を教える講師のバイトをしていたことがある。
当時、教え子の1人に、どうしようもなく勉強が苦手な男の子がいた。
スゴく素直で性格は良かったのだが、学校の勉強について行けず、保健室に入り浸るようになり、非行にはしるようになった。
学校の授業には出席しないのに、何故か塾には来て私の授業は受ける。
彼と会うのは週に1回の45分だけだったが、彼の勉強に対する変化の過程はわかりやすかった。
勉強に追いつけないことに対する戸惑いから始まり→不安→絶望→諦め→拒絶→否定
そして、そこに至った勉強が出来ない子は、こんな事をよく口にする。
「なんで、勉強せないかんと?」
「英語が出来んでも日本で生きていくし」
「今が楽しければいいやん」
その、意見を、私の持つ経験と知識と権威と論理で徹底的に叩き潰すことは簡単だ。
でも彼の立場からすると、その考え方に至るのは自然だし、否定はしたくない。
ただ、役割上、私は勉強をさせなければならないし、勉強が出来ることで広がる未来への希望をウソでも持たせる必要がある。
今振り返れば、1年半かけて、私が彼にしたことは、勉強を教えることではなく、彼の話に耳を傾け、共感的理解を示しながら、将来へ目を向けさせることだったのかもしれない。
実際、勉強を教える時間よりも彼の話を聞いている時間の方が長かったような気もする。
やっぱり、私は人に教え説くというような講師の仕事は、こういう性格上、向いていないようだ・・・。
考えが甘すぎる・・・。
何か、辛いものでも食べよっと。。。
人間、慣れれば人の靴を舐めるのも何とも思わなくなるものなのかな?(笑)
人の顔色を伺いながらする仕事に慣れはじめている自分に気が付くと嫌でたまらなかったが、最近は、それすらも感じなくなってきた。
社会に適応するって悲しいな…。
2月、3月は関連会社へ出向いて研修会を実施する機会が増える。
昨年は入社1年目の私が、入社20年目となる現場のベテラン社員に対して偉そうに講義をしていた。
決して見下している訳ではなく、ただそういう役割を与えられたから、その役をまっとうしているだけ。
売れないモノを、どうすれば買ってもらえるか。魅力のないものをどうすれば魅力的に見せることができるか。
私達の仕事は、ただ数字を上げろ!と言うだけではなく、どうすれば数字があがるかを机上論で説く。
そんな役割。
そして今年もその仕事があると思うと、胃が痛くなる。
結局、やっていることは綺麗事を並べて、こうやればできる!こう考えればできる!と宗教じみた洗脳。
ひねくれた見方をすれば、世の中の営利企業は大体そんな世界の中で動いている。
理想と現実。
希望と絶望。
自己陶酔と自己嫌悪。
双極性障害の様な浮き沈みを繰り返しながら、私は手探りで生きていっているんだろう。
そういえば、以前にも似たような経験をしていた。
大学時代、小中高生を教える講師のバイトをしていたことがある。
当時、教え子の1人に、どうしようもなく勉強が苦手な男の子がいた。
スゴく素直で性格は良かったのだが、学校の勉強について行けず、保健室に入り浸るようになり、非行にはしるようになった。
学校の授業には出席しないのに、何故か塾には来て私の授業は受ける。
彼と会うのは週に1回の45分だけだったが、彼の勉強に対する変化の過程はわかりやすかった。
勉強に追いつけないことに対する戸惑いから始まり→不安→絶望→諦め→拒絶→否定
そして、そこに至った勉強が出来ない子は、こんな事をよく口にする。
「なんで、勉強せないかんと?」
「英語が出来んでも日本で生きていくし」
「今が楽しければいいやん」
その、意見を、私の持つ経験と知識と権威と論理で徹底的に叩き潰すことは簡単だ。
でも彼の立場からすると、その考え方に至るのは自然だし、否定はしたくない。
ただ、役割上、私は勉強をさせなければならないし、勉強が出来ることで広がる未来への希望をウソでも持たせる必要がある。
今振り返れば、1年半かけて、私が彼にしたことは、勉強を教えることではなく、彼の話に耳を傾け、共感的理解を示しながら、将来へ目を向けさせることだったのかもしれない。
実際、勉強を教える時間よりも彼の話を聞いている時間の方が長かったような気もする。
やっぱり、私は人に教え説くというような講師の仕事は、こういう性格上、向いていないようだ・・・。
考えが甘すぎる・・・。
何か、辛いものでも食べよっと。。。