カンボジアで働き始めて1年半ほど経つ大学時代の友人が仕事で福岡に帰ってきた。
日本では日本の関係会社と同行営業をしたらしく、国内で就活すらしてなかった彼女は、日本での商談にヒドく驚いていた。
まずは、たわいもない話から始めて、徐々に本題に入っていく。ときおりお世辞などを噛ませながら表面的な会話ばかりしている。
逆に日本企業しか知らない私は当然のことだと思うわけだ。
いや、はじめは違和感を感じてたが、次第に何も感じなくなってきたんだ。
仕事中は、心は身体から外してある。例えるなら幽体離脱して、身体だけが機械的に動くように。
もちろん、愛想笑いやお世辞、謙遜はマニュアル通り、タイミング良く発射する。
今日も突然、上司からの飲みの誘い。心では嫌と思っても、私にはNOと言える立場ではない。
まぁ、言っても良いが、建前上、NOの連発はできないので、NOはここぞという大事なトコまでとっておきたい。
そうやって、パブロフの犬のように、『飲みに行くぞ』と言われれば、『Yes、BOSS』と口が自動的に反応する。
僕たちは会社の駒、上司の奴隷、社畜だ。
業務時間中は心を切り離して会社のため、上司のために戦う肉の塊。
私の場合、幽体離脱しても女湯は覗けない。
代わりに、上司の思考は覗けるようになった。
空は飛べないが、意識は飛ばせるようになった。
壁はすり抜けられないが、イヤミはうまくかわせるようになった。
そもそも幽体離脱ってのは臨死体験。
生きていくために、自分を殺す術を自然と身につけるってのは皮肉なもんだ。