段々畑を見終わったのが11時半を過ぎていました。
さてどうしたものか??もう一カ所、旦那を連れて行ってあげたい所を 息子と見つけて
いるのですが、この場所からさらに
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で2時間ほど掛かる場所なんです。
それも、今日大阪に帰るのですが、遠くなる地点なんですよねぇ~~。。
それで・・・旦那にその旨、話してどうしたいか 聞くことに・・・・
すると、どうせここまで来たんだから、この先これより南に行く機会はないだろうから
頑張って行ってみよう!と言うことになりました。
次に向かう場所は・・・・ ここ
こんな小さい地図しか貼り付けれる地図が見付かりませんでした。
一昨日のブログでアップした大きな地図の 南宇和郡愛南町の 入り江の方です。
やっぱりしっかり
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で2時間はかかり 到着した時は1時半を回っていました。
そして、そこまでして頑張ってやって来た場所は・・・・・
「 石垣の里 」で~~す!!
ここは 外泊地区にある小さな集落で 入江に面した急斜面に、周囲に石垣を高々と巡らした 約50軒の
民家が山の中腹まで続き、独特の家並みを形成していて 「日本の美しいむら農林水産大臣賞」や
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている場所だそうです。
何でも 江戸の末期に漁業で栄えた隣接する中泊地区の人口が増加したために、次男三男が移住して
山を切り開き、集落を作っていったそうです。その時に出た石を積み上げて土地を作り、北側から
吹き付ける強風や塩害から守る為に塀を高く積み上げたそうです。
今の集落の形になったのは 明治の初期頃だといわれています。
この急な階段を見てください
ここで生活をしている方は毎日この階段を上り下りしてるんですよねぇ~~。
それによ~~く考えたら
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の通れる所が全くありません。
下に降りてもそこにはな~~んにもないから
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は当然必需品だと・・・
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の写真の赤い矢印の所を見てください!石垣にくぼみがあるでしょう!
これは「遠見の窓」と言って家の中から海の様子を見る為に作ったそうです。
その日の釣行の是非を決めたり 漁師の妻が夫の帰りを待って眺めていたそうですよ。
動画も撮ってきましたよ!見てくださいね!
この動画を見ていただくと判るように 石垣があっても空き地になって 草が生えているところが
所々にありますねぇ~~。きっと何らかの事情でこの地を離れていかれたのでしょうねぇ。
外泊の川
昔はここで洗い物をしたり井戸端会議をしたりと社交場になっていたそうですよ。
タオルが掛けてあって 生活感が漂ってますね!去って行かれる方もいらっしゃる中
少しホッとした感じがしますね!
もう少し ゆっくりしたかったのですが、帰りのことを考えて3時過ぎにはここ石垣の里を
出発して 大阪に向かいました。大阪に着いたのは 夜中の12時を過ぎていました。
渋滞はほとんどなくスムーズに走れたのですが 高速道路が 途中までしか繋がっていないから
結構時間が掛かったんでしょうねぇ~~。3人運転手がいないと とてもじゃないけれど2泊3日では
無理な旅行だったと思います。
祖父の作ったバイクにも会え、今まで見たことのない壮大な景色も見れて
ご先祖様に 感謝!感謝!の旅行でした。