りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「アイズ・ワイド・シャット」と「A.I.」

2021-06-21 23:30:40 |  映 画 
公開当時のスキャンダラスな雰囲気とか、
監督の遺作となってしまったこととか、
それがとある秘密結社の秘密を暴いたせいなのでは?
と囁かれたり。。。ということなどがあって、
観ていないくせに、周辺の噂を聞いて知った気になっていた。
「アイズ・ワイド・シャット」。
気にはなるけど、とにかく尺が長い。
それに、これがホントの理由なのだけれど、僕はそれほどスタンリー・キューブリックの映画が好きではない。。。
好きでない割にはちゃんと観ていたりするけど、
この一本は二十年すっ飛ばしていた。
さらに言うと、当時の僕にはキューブリックを崇めている人たちのことが、ちょっと理解できなかった。
そういう諸々のせいで気にはなっていたのに、長らく見なかった映画でもある。

1999年の映画ということを改めて確認したのだけど、
なるほど。スキャンダラスなのは、トム・クルーズやニコール・キッドマンのことではなく、
映画の描写の詳細にあるのでもなく、この映画そのものだった。
だけど、公開当時に観ていたとしても、当時の僕にはなんのことやらさっぱりだっただろう。
映画以外の情報で外堀を完全に埋め尽くしていたとしても、
この映画が意図するところを、思いっきり取り違えていたに違いない。
二十年以上の時間が過ぎたことで、現実の方から漏れてくることもある。

急逝してしまったことで、キューブリックが撮るつもりでいたある作品が宙に浮いた。
その企画はスピルバーグに引き継がれ、「A.I.」が公開された。
それが2001年。
どこか、必然性のある年である。

これを公開と同時に教え子と一緒に観に行った。
いや、教え子に見せる前の確認のために、
さっちゃんと一緒に観に行ったのが最初だ。

スピルバーグが撮れば、それはスピルバーグ作品になる。
ある意味、安心だと思っていたのだけど、この安心は誠に迂闊であった。
僕は「A.I.」の終わりに号泣してしまったのだ。。。

予想外だった。
映画は好きだけど、映画館で泣いたことってほとんどない。
いや、正直に言えば数本はある。
そのうちの1本が「A.I.」???
スピルバーグの映画で泣いちゃう?
こんなこと、今までなかったし、想像さえしたことない。

周囲に泣いている人なんて、誰もいない。
不思議そうな一瞥を感じてはいたのだけど、
どうにも涙が止まらなくて、構ってられない。
なんで泣いているのか?
さっちゃんを困らせてしまったけれど、
驚いていたのは僕もそう。
自分でもわからない。
しばらくは自分をどうかする余裕もなかった。

どうして狼狽えたのか?
仔細はともかく、僕のキューブリックに対する見方が決定的に変わったのはこの時だ。
「A.I.」がキューブリック作品と呼べるかどうかは問題ではない気がした。
自分の狼狽、混乱の正体は見当もつかないのだけど、
キューブリックがこれを撮るべく、大事に脚本を書いてきたという事実を知るにいたり、
なにかあるはずだ!という思いはいつまでも消せなかった。

企画はキューブリックが立てたものだが、当初から、監督はスピルバーグに任せるつもりでいた、
という話を聞いた。
自分では撮れない、という確信があったのか?
ではなぜ、それでも撮る!と前のめりでいたのか?
その辺り、いろいろ込み入った事情があったらしいけど、
結果的にキューブリックの望み通りに映画は完成する。
だとするなら、必要なことは作品にすべて提示されている、
そう考えるのは突飛なことではない。
キューブリックがスピルバーグ監督をもってベストとしていたのなら。
ただ、キューブリックが映画を観ることだけは叶わなかった。
なので、「A.I.」については繰り返し観た。
何度も繰り返し観たので、さすがに号泣することはなくなったのだけど、
あの時なんであんなに泣いてしまったのか?
その理由らしきことも同時に遠のいた。

そして、二十年後。
いまさらながらに「アイズ・ワイド・シャット」を観たわけだが、
これに傑作とか駄作とか、そういう評を与えることにとても違和感があった。
不気味さや薄気味悪さはあるし、個人的好き嫌いで言うなら嫌いな部類に入る。
間違いなく。
でも、キューブリック作品はほとんどすべてがそうなのだけど、
フィクションでない、けれど得体の知れない「何か」を示すために
フィクションとして全体を構成するということだけははっきりしている。
だけど、即座に僕が思い浮かべたのは、スキャンダラスなあれこれではなく、
過去のキューブリック作品でもなく、
スピルバーグの「A.I.」のラストシーンだった。

どういうわけか、まっすぐつながった。
ひょっとしたら。
この二本は対として見るべきなのでは?
テイストも、描こうとしていることも、まったく噛み合いそうにないこの二本を、
人を納得させるだけの証拠を持って繋げてみせる材料もテクニックもあいにく持ち合わせてはいない。
しかし、実はキューブリックの中では分かちがたく、この二本はつながっているのではないか?
この考えを打ち消せない。
足りなかったピースが遺作にあったとすると、しっくりくることがある。
キューブリックが自分では撮れないと認めたことに。




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