ずいぶん長いこと、坂本龍一の音楽をフォローしてきた。
ラジオで、坂本龍一のサウンドストリートを聴いていたのが小学5年の冬からだから、それはもう、相当に長いつきあいだと言える(^o^;)
もっとも、坂本龍一は僕にとってはドンピシャで親の世代。共感するというよりは、知らないことをいろいろと教えてもらってるっていう感覚はあって、そういう意味で最初から「教授」だった(^o^;)
小学生の頃からずっとなんだけど、「教授」の曲で僕のお気に入りは「Perspective」と「happyend」。特に意味なんてわかってたはずもないのだけど、当時は宝物だったそのカセットテープがのびて音がグニャグニャになるまで、ひたすらに聴いてた(*´ω`*)
今年の春先、氏の訃報を耳にした時の最初の感覚はまるでリアリティがないっていう感じで。あちこちで鳴っている「戦メリ」が本当に不思議だった。
いや、幸宏さんの早すぎる死にうろたえていたのと同時に、予感もあった。それなのに、実際の報せがやけに遠い声のように感じたのは、これがきっかけになって、やたらと坂本の音楽と声を聞くことが増えたからかも知れない。
薄っぺらなのから、なかなかに骨太なものまで。坂本の作品を解説したり、分析したり。中には若かりし頃の坂本の破天荒ぶりをネガティブに紹介するものもあったりして。なるほど、らしいエピソードだって思ったり。
おすすめ動画が「坂本」だらけになる。まぁ、そんなのばっかり見ていたから、Google的に普通に機能していると、そういうことになるんだろうけど。
美容室でカットの順番を待っている時、婦人画報の表紙に坂本の姿があるのを見て驚いた。
やたらと美しい写真に無内容な記事。このギャップに狼狽しつつ、やっぱり最後まで読んでしまったり。
ラジオでは、パーソナリティとしていろいろを紹介する側にいた坂本が、ひたすらに紹介される側にいる。。。
僕の知らなかった昔の映像や音源。僕の知らなかった最近の話。
メディアというメディアにその姿があらわれる。
つくづくメディアに愛された人なんだなぁと思うのだけど、ほとんどヴァーチャルに「生きている」ようなものだから、死のリアリティからは遠くなる一方。
不思議な思いを抱きつつ、時間の限りそれを眺め、聴いた。
半年以上が過ぎて、さすがにこの頃ではそうした情報も少なくなってきた。
自分としては、かなり丹念に「坂本」の仕事をフォローしてきたつもりでいるのだけど、それでもいまだに「新しい」ことを見つけたりするので、いったいどれだけの仕事をしてきたのか?いまだに見通せたと思えないことに、あらためて驚いたりする。
東日本大震災の後から、反原発の社会運動にコミットし続けていた坂本龍一に対して、僕はかなり複雑な思いで「噂」だけを聞いていた。どうしても、その辺りの運動に深入りする気にはなれなかった。
個人的に思うことは、もちろんいろいろある。いろいろありすぎて、結局のところ、どうした解決がよいのか?個人的な結論など未だに手にしていないし、そもそも問題が大きすぎて個人的な考えに収まるはずのものでもない。
ただ、そのことと音楽が結びつくようにはまったく思えなくて。結果的に最晩年と呼ぶべき時期になってしまった頃の「坂本」について、多くを見逃してしまうことになった。
迂闊にも見逃していた大きな仕事の中で、代表的な作品だったのが「THE REVENANT」のサントラ。
今更なんだが、これがどうにもすごすぎる。
この頃は気づけばこればっかりをひたすらに聴いていたりする。
タイトルのせいか?
まだ生きていると言われれば、勝手に安心してしまいそうになる。
ラジオで、坂本龍一のサウンドストリートを聴いていたのが小学5年の冬からだから、それはもう、相当に長いつきあいだと言える(^o^;)
もっとも、坂本龍一は僕にとってはドンピシャで親の世代。共感するというよりは、知らないことをいろいろと教えてもらってるっていう感覚はあって、そういう意味で最初から「教授」だった(^o^;)
小学生の頃からずっとなんだけど、「教授」の曲で僕のお気に入りは「Perspective」と「happyend」。特に意味なんてわかってたはずもないのだけど、当時は宝物だったそのカセットテープがのびて音がグニャグニャになるまで、ひたすらに聴いてた(*´ω`*)
今年の春先、氏の訃報を耳にした時の最初の感覚はまるでリアリティがないっていう感じで。あちこちで鳴っている「戦メリ」が本当に不思議だった。
いや、幸宏さんの早すぎる死にうろたえていたのと同時に、予感もあった。それなのに、実際の報せがやけに遠い声のように感じたのは、これがきっかけになって、やたらと坂本の音楽と声を聞くことが増えたからかも知れない。
薄っぺらなのから、なかなかに骨太なものまで。坂本の作品を解説したり、分析したり。中には若かりし頃の坂本の破天荒ぶりをネガティブに紹介するものもあったりして。なるほど、らしいエピソードだって思ったり。
おすすめ動画が「坂本」だらけになる。まぁ、そんなのばっかり見ていたから、Google的に普通に機能していると、そういうことになるんだろうけど。
美容室でカットの順番を待っている時、婦人画報の表紙に坂本の姿があるのを見て驚いた。
やたらと美しい写真に無内容な記事。このギャップに狼狽しつつ、やっぱり最後まで読んでしまったり。
ラジオでは、パーソナリティとしていろいろを紹介する側にいた坂本が、ひたすらに紹介される側にいる。。。
僕の知らなかった昔の映像や音源。僕の知らなかった最近の話。
メディアというメディアにその姿があらわれる。
つくづくメディアに愛された人なんだなぁと思うのだけど、ほとんどヴァーチャルに「生きている」ようなものだから、死のリアリティからは遠くなる一方。
不思議な思いを抱きつつ、時間の限りそれを眺め、聴いた。
半年以上が過ぎて、さすがにこの頃ではそうした情報も少なくなってきた。
自分としては、かなり丹念に「坂本」の仕事をフォローしてきたつもりでいるのだけど、それでもいまだに「新しい」ことを見つけたりするので、いったいどれだけの仕事をしてきたのか?いまだに見通せたと思えないことに、あらためて驚いたりする。
東日本大震災の後から、反原発の社会運動にコミットし続けていた坂本龍一に対して、僕はかなり複雑な思いで「噂」だけを聞いていた。どうしても、その辺りの運動に深入りする気にはなれなかった。
個人的に思うことは、もちろんいろいろある。いろいろありすぎて、結局のところ、どうした解決がよいのか?個人的な結論など未だに手にしていないし、そもそも問題が大きすぎて個人的な考えに収まるはずのものでもない。
ただ、そのことと音楽が結びつくようにはまったく思えなくて。結果的に最晩年と呼ぶべき時期になってしまった頃の「坂本」について、多くを見逃してしまうことになった。
迂闊にも見逃していた大きな仕事の中で、代表的な作品だったのが「THE REVENANT」のサントラ。
今更なんだが、これがどうにもすごすぎる。
この頃は気づけばこればっかりをひたすらに聴いていたりする。
タイトルのせいか?
まだ生きていると言われれば、勝手に安心してしまいそうになる。