りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「あぢさゐ」の意味( ・ิω・ิ)b

2023-06-03 04:51:24 |  日 記 
関東にも梅雨入宣言が早々に出されるか?と思ったが、いまだそんな話は聞こえてこない。
なんでかな(・o・)?
もう、いい頃合いじゃないのかな(・o・)?
まぁ、気分としては、僕は勝手にとっくに、梅雨入りしちゃってますけど(^ω^ゞ
「あじさい」について、梅雨らしく、縷縷考えているところなのでございます(^ω^ゞ

「あじさい」の表記には実にいろいろな種類がある。
現代においても、漢字、ひらがな、カタカナの3種の表記を普段から使い分けているのが、ごくごく普通の日本語なのだし、また、それぞれになんとなくのニュアンスの違いもうまれるような気がする。
わたくしも、日本語ユーザーのひとりとして、書き方にそこはかとなく籠める思いなり、気分なり、ニュアンスなりはあって、明確な意図を持って、あるいは「なんとな〜く」使い分けている。

さて、「あじさい」( ・ิω・ิ)b
表記にいろいろあっても、基本、声に出して発音される音については、長い歴史をくぐり抜けても、さほど大きな変化があったようには思えない。「あじさい」は、おそらくは文字で表されるようになる以前からず〜っと「あじさい」と呼ばれてきたんじゃないか?
馴染み深い「固有名詞」なのだ。
そして「あじさい」の名前は意味として分解可能。
複数の意味が合わさってできている。
だが、「あじさい」の持つ意味を、現代の僕らは瞬時に理解することができない。
これはいったい、どうしたことなのだろうか?

営々と続いてきたはずの日本語に、断絶と呼ぶべき溝がある。僕自身をふりかえっても、この溝の前で立ち往生することがしばしば。
現代に生きる僕らは、たしかに日本語を話しているはずなのに、言語空間としての「日本語」から、どこか切り離されている感じさえする。
これがGHQによる教育改変のせいなのか?それとも、明治以降の言文一致運動に代表される政治的、国民的ムーブメントによって、自ら望んで日本語から多くのものを棄て去ってしまったのか?
最低見積もっても、戦後と、それ以前との間には大きな隔絶がある。
かつての日本人が瞬時に理解できたはずの意味を、現代の日本語は大きく取りこぼしてしまっているのではないか?
新しいとか、古いとか、そういうことではなくて。
意味が切り離されているのだ。
例えば「あじさい」という花の名前ひとつとっても、この断絶はあらわれている。

「あじさい」は平仮名で書くのであれば、本来は「あぢさヰ」「あぢさゐ」と書くべきらしい。
詳しい説明はよそにたくさんあるので、別途探してご参照いただくとして。
旧仮名遣いとして知られている表記は、ひらがなひとつひとつに意味があることをちゃんと示している。
なるほど(・o・)
ひらがなは、単に音を表しているわけではないと。
表音であると同時に表意でもあると。

例えば「あじさい」。
これを「あぢさゐ」と正しく書いてみると、「細かいもの」が「ぎっしり」と「斜め下方向」へ「連続している」という様子が意味としてはっきりとあらわれるという。
品種改良されて、日本に逆輸入された「紫陽花」ではなくて、日本に自生していた原種の「あぢさゐ」の姿は、その呼び名にすでにあらわされていた。

ひらがな以前の万葉仮名や古い当て字では「あじさい」は「味狭藍」「安治佐為」「阿豆佐為」として表されるが、「あぢさゐ」の意味を知った後に見てみると、気になるのは「味狭藍」の表記。ここには「藍」という色が表れていて、「あぢさゐ」が青色の花であることを示す意図が感じられる。
万葉仮名でさえ「単に音を移すためのもの」と断じるのは早計なのだ。

う〜む(´ε`;)
「あぢさゐ」を追いかけてみたら、なんだか「日本語を取り戻す」っていう話につながってしまったぞ(´ε`;)
えらいこっちゃ(≧∇≦)b








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