先だっての十三夜の夜。
雨が降りがちな季節にあって、雲の間に間にぎりぎり見えたお月さまは、なかなかによかった♪
全部がキレイに見えた瞬間はなかったように思うが、向こうに明るい月が確かにいるとわかるくらいには雲は透けていて。こういう月も、なかなか乙なもんですな(*^ω^)b
「十五夜、十三夜と、見られてよかったね♪」
両日ともにお出かけが重なってしまったのには、ひょっとしたらなにかしら、お月さまのせいっていうところはあるのかも知れんのぉ〜(*´ω`*)
月見団子は用意してある♪
さっちゃんも「ほほ♪」と、うれしそうにお団子を召し上がっておられる(^ω^*)
よいことは、よいとしか言えませんな(≧∇≦)b
しかし、不思議。
ただ月を見ているだけ。
ホントにそれだけのこと。
なのに、「ちゃんと見た」ことで得られるこの満足感っていうのはいったいどこの何に由来するのだろうか?
自分の心のことなのに、原因不明かつ説明不能。
それでいて、なんとなく幸せな感じがするっていうのは、なかなかのミステリーではあります(*´ω`*)
「次もあるんだよね?」
もちろんございます( ・ิω・ิ)b
次のお月見、「十日夜」は、暦によれば11月10日ということになっておりますな(*^ω^)b
「ということは、そろそろ寒いことになってるはずよね〜♪」
ふむ( ・ิω・ิ)
それじゃ、早めだけど、次回のお月見にはお汁粉などをご用意しませうか?
「よいですね〜♪」
「お月見」が直接に関係があるかどうかはわからないけど、長谷川潔の「竹取物語」をあらためて見直したことで、長谷川作品もさることながら、物語そのもののことがこの頃やたらと気になってきた。
「お月見」と「竹取物語」。
関係があろうとなかろうと、「お月見」をしていると、「かぐや姫」のことをふと思い出すことはある。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり」
およそ、日本人なら誰でも知っているであろうこの物語の本意とするところがなんであるのか?それを僕は明確に語ることができない。。。これも不思議(^o^;)
というわけで、来月もお月見をするのであります(*^ω^)b