夜の桜をお散歩しながら眺める。
毎年恒例の行事なので欠かすことなく続いている。
こうして何度一緒に桜を眺めてきただろうか?
うまいこと準備できれば、お団子を持って
出かけることもあるのだけど、
基本はご近所の桜にご挨拶する程度なので、
なんとなくはじまっちゃうこともある。
毎年、なにかしら大事件が起きるのが当たり前のような
不穏な空気に包まれっぱなしの我が日本だけど、
どんなに大変なことがあっても、
こうしてさっちゃんと並んで毎年の桜を眺めていられる
っていうのは、なにがしか手応えのある確かさだな~
と、しみじみと思う。
このご近所の桜の向こうに、また別のご近所の桜あって、
その桜がまたその向こうに連なって、
そうして連綿とした繋がりで持って
日本列島をなしているような。
そうしたことを今年ほど実感する年もない。
「思ってたよりもたくさん咲いちゃってるね」
うーむ。五分咲き?
「それくらいかも。
いつも咲くのが早い桜は。。。もう八分とか咲いているんじゃ?」
ご近所で一番気の早い桜の木があるのだが、
早く咲き始め、いつも長く花をつけている。
その桜のことが気になるらしい。
近くまで行くと、かなり咲いているので
この木だけやたらと明るくかんじる。
「これじゃあっという間に満開だね。」
こうして今夜、歩けてよかった、という気分を隠さないさっちゃん。
確かに、頭ではわかっていても、このはやさは尋常ではない。
咲き急いでいる、そんな感じもする。
それでも、咲く花をこうして毎年迎えることができているのだ。
これを確かと言わないでどうする。
夜桜を見ながらだと、いつもの公園を歩く
それだけにたっぷり時間をかけられる。
こうして眺める桜の花は、過去に眺めてきた花ばなを呼び起こす。
ひとくちに「散歩」と言っても、
夜桜を眺めながらだとこれがなかなか一筋縄ではいかない、
なにごとかに化けてしまう。
夜桜の醍醐味であろうとは思うのだが、
それは今年の花に集中できてこその話。
たくさんお話をしながら、たっぷり歩くと、
お腹もいい感じですいてくる。
「そういえば、まだお餅があったねぇ。」
なるほど!
帰ってからお餅を磯辺焼きにしました。
砂糖醤油の香ばしさと海苔の香りで、
今度はまた別の系統の記憶が刺激される。
夜桜と磯辺焼きで、いろんなことを思い出した夜。
プルーストの「紅茶にひたしたマドレーヌ」みたいな?