古事記に限ったことではないけれど、神話の記述というのはどうにも「あっけない」というか「素っ気ない」というか。。。書き起こされた文章を読んだだけでは「いったいなんのことやらさっぱり」といいたくなることがママあります。
世に知られている「オトタチバナヒメ」の話などもそうで、古事記での扱いはいかにもあっさり。記述の素っ気なさの方に悲しくなります。
其處からおいでになつて、走水の海をお渡りになつた時にその渡の神が波を立てて
御船がただよつて進むことができませんでした。その時にお妃のオトタチバナ姫の命が申されますには、
「わたくしが御子に代つて海にはいりましよう。御子は命ぜられた任務をはたして御返事を申し上げ遊ばせ」
と申して海におはいりになろうとする時に、スゲの疊八枚、皮の疊八枚、絹の疊八枚を波の上に敷いて、
その上におおり遊ばされました。そこでその荒い波が自然に凪いで、御船が進むことができました。
そこでその妃のお歌いになつた歌は、
高い山の立つ相摸の國の野原で、
燃え立つ火の、その火の中に立つて
わたくしをお尋ねになつたわが君。
かくして七日過ぎての後に、そのお妃のお櫛が海濱に寄りました。その櫛を取つて、御墓を作つて收めておきました。
現代語訳 古事記 武田祐吉訳(青空文庫)
これで、全部です。
にも関わらず、「オトタチバナヒメ」を源泉にしたイメージはあまりにも豊富。これには驚かざるを得ません。
ポジティブにも、ネガティブにも、無視できない存在であることは確かなようですが、今日は別のところに関心を向けたい。
古事記では「素っ気ない」記述も、その「現場」とされている土地にはおどろくほど具体的な言い伝えが残されていたりする。
冒頭の写真の真ん中やや右寄りに見える小さな山のような岬は旗山崎と呼ばれています。
釣り船や漁船の小さな港があって、小さな入り江の手前側には防衛大学の海上訓練場などがあったりします。
走水から上総へと渡ろうとするヤマトタケルは、この旗山崎に臨時の御所を設け旗を立てた、と地元の伝承が伝えています。
古事記の素っ気ない記述から一転、にわかに、現場の空気が匂い立つ。
立て札の説明によれば、オトタチバナヒメが入水したその場所も伝えられているという。
「風景」を抜きにして神話を理解することなんて、ほとんど不可能なのではないか?
あらゆる神話が、きっとそうに違いない。。。リアリティは、風景の中にあらわれる、とか。
しかし、海の方はどうみてもおだやか。
綿津見の神の荒れ狂う姿は、まったく想像できません。
旗山崎は「立ち入り禁止」となっていて、残念ながらヤマトタケルが旗を立てたであろう場所から向こうの房総半島を望むことはできません。
肝心な「風景」を望めないとなると、ちょっとがっかり。
立て札に書いていある理由を読むと、「法律で定められた魚介類、貝類、海草類を許可なく採ると法律により罰せられます。」とある。。。漁業権が理由で「立ち入り禁止」となっているのは、なんとも残念でなりません。
地元の漁協関係者以外、だれも立ち入れない小さな岬は、小さいながらも鬱蒼とした森のようになっている。
意図せざる理由で、古代の風景に近い姿が残されているのかもしれません。
走水神社は、ここからあるいて数分のところ。海を前に鎮座しています。
走水神社
かっぱちゃん
Untitled #393
Untitled #392