娘は、モルモットの気持ちがとてもよくわかります。
抱っこをしてほしいタイミングをはじめ、モルモットたちが何をしてほしいかを的確に見抜きます。
私も、何度も「抱っこしてほしがっているよ」と言われ、手を出すと、その時はゼリーもモルも逃げることはほとんどありません。
7月4日(火)または5日(水)に娘と話をしていたところ「ゼリーが息を引き取った時には口が開いていた」などと話しており「ゼリーは、まだ私たちと一緒にいたかったからねえ」と言っていたのです。
7月6日(木)に、ゼリーの写真やビデオを見ながら、そういえば「ゼリーはまだ私たちと一緒にいたかった」と言っていたけれど、それはどうやって分かったのかと質問してみました。
すると「最後の日、ゼリーはもう力が入らなくて、疲れ果てていた。ゼリーは頭がいいから自分の命が尽きようとしていることは分かっていた。それでも、目が『まだ一緒にいたいんだ』と大きく、そういう気力がある強さがある目だった」と言っていました。
そういえば、旅立った姿は、目が大きく開いていました。それは、苦しんで大きく開いたというより、もともと大きなゼリーの目が、ちゃんとぱっちり開いていた感じの開きかたでした。すぐに、閉じてあげようと思ったのですが、半分くらいまでしか閉じず、最後まで
、自分の住んでいたお家を目に焼き付けておきたかったのかなあなどと思えるほどでした。
一緒にいたかったということは、私たちの愛情をたくさんたくさん感じてくれていたのかな、と思います。
もっと相手すればよかった・・・私はあまり構っていなかった、と思っていましたが、ゼリーがいなくなってから、ゼリーを抱っこできないのが苦痛に感じます。ここまで苦痛であるというのは、結構抱っこしていたことに他なりません、意識しているよりもよく抱っこをしていたのだと思います。
食べ物も、おいしかったかな。。。?
本当に最後の最後、強制給餌のクリティカルケアをあげ、あまり食べなくなったため、普段私たちの昼食時に一緒に用意し、ゼリーがうろうろして待ちわびていたキュウリを上げたら(娘から上げてもらいました)、グッタリしていたのに、においを感じたのか、鼻を小刻みに動かしてキュウリだと確認すると、目が一瞬ですが、輝きました。そして、少しだけかじりました。
その後少しして、私がもう一度上げてみると、もっとしっかり食べて、しゃり、しゃりという動きが、キュウリを持つ指に感じられました。
ゼリー自身も、こんなに早く旅立ちたくなかったのだとわかり、私たちとの生活を楽しんでくれていたのだ、幸せだったのだと思うとよかったと心から思える反面、モルも含め私たちももっとゼリーと一緒にいたかったことを思うと、運命というのは残酷であると思います。
私が抱っこをしてお背中をなでるとすぐに「ぷるる、ぷるる」と言って気持ちよさそうにしていたゼリー。
今日、2022年5月~7月の写真やらビデオやらをみてみたのですが、ゼリーの顔は口元が笑っており、どの写真を見ても、ゼリーはとても幸せそうでした。モルと一緒にたくさん遊んでいる写真、娘に抱っこされている写真、お散歩時に私のお膝から牧草のかたまりをもらっていた写真やビデオがたくさんありました。
本当によかった。幸せと感じてもらえていてよかった。
いつかまた会えると思っていても、今すぐ、今まで通りの形で会いたいなあと思ってしまいます(って、ブログの締めがいつも同じような終わり方です)
抱っこをしてほしいタイミングをはじめ、モルモットたちが何をしてほしいかを的確に見抜きます。
私も、何度も「抱っこしてほしがっているよ」と言われ、手を出すと、その時はゼリーもモルも逃げることはほとんどありません。
7月4日(火)または5日(水)に娘と話をしていたところ「ゼリーが息を引き取った時には口が開いていた」などと話しており「ゼリーは、まだ私たちと一緒にいたかったからねえ」と言っていたのです。
7月6日(木)に、ゼリーの写真やビデオを見ながら、そういえば「ゼリーはまだ私たちと一緒にいたかった」と言っていたけれど、それはどうやって分かったのかと質問してみました。
すると「最後の日、ゼリーはもう力が入らなくて、疲れ果てていた。ゼリーは頭がいいから自分の命が尽きようとしていることは分かっていた。それでも、目が『まだ一緒にいたいんだ』と大きく、そういう気力がある強さがある目だった」と言っていました。
そういえば、旅立った姿は、目が大きく開いていました。それは、苦しんで大きく開いたというより、もともと大きなゼリーの目が、ちゃんとぱっちり開いていた感じの開きかたでした。すぐに、閉じてあげようと思ったのですが、半分くらいまでしか閉じず、最後まで
、自分の住んでいたお家を目に焼き付けておきたかったのかなあなどと思えるほどでした。
一緒にいたかったということは、私たちの愛情をたくさんたくさん感じてくれていたのかな、と思います。
もっと相手すればよかった・・・私はあまり構っていなかった、と思っていましたが、ゼリーがいなくなってから、ゼリーを抱っこできないのが苦痛に感じます。ここまで苦痛であるというのは、結構抱っこしていたことに他なりません、意識しているよりもよく抱っこをしていたのだと思います。
食べ物も、おいしかったかな。。。?
本当に最後の最後、強制給餌のクリティカルケアをあげ、あまり食べなくなったため、普段私たちの昼食時に一緒に用意し、ゼリーがうろうろして待ちわびていたキュウリを上げたら(娘から上げてもらいました)、グッタリしていたのに、においを感じたのか、鼻を小刻みに動かしてキュウリだと確認すると、目が一瞬ですが、輝きました。そして、少しだけかじりました。
その後少しして、私がもう一度上げてみると、もっとしっかり食べて、しゃり、しゃりという動きが、キュウリを持つ指に感じられました。
ゼリー自身も、こんなに早く旅立ちたくなかったのだとわかり、私たちとの生活を楽しんでくれていたのだ、幸せだったのだと思うとよかったと心から思える反面、モルも含め私たちももっとゼリーと一緒にいたかったことを思うと、運命というのは残酷であると思います。
私が抱っこをしてお背中をなでるとすぐに「ぷるる、ぷるる」と言って気持ちよさそうにしていたゼリー。
今日、2022年5月~7月の写真やらビデオやらをみてみたのですが、ゼリーの顔は口元が笑っており、どの写真を見ても、ゼリーはとても幸せそうでした。モルと一緒にたくさん遊んでいる写真、娘に抱っこされている写真、お散歩時に私のお膝から牧草のかたまりをもらっていた写真やビデオがたくさんありました。
本当によかった。幸せと感じてもらえていてよかった。
いつかまた会えると思っていても、今すぐ、今まで通りの形で会いたいなあと思ってしまいます(って、ブログの締めがいつも同じような終わり方です)