森の隠れ家  by KEIZI

森の中の小さな俺の隠れ家。
隠れ家の中は、他人から見れば子供のおもちゃ箱のようにガラクタばかりなのかもしれない。

真実を見抜く目

2007年01月21日 | ひとりごと
「真実を見抜く目」というのは、私達の顔についている2つの目の事を言っているのではありません。


それだけでは、真実を見抜くことは出来ませんし、間違った判断をしてしまうことがあります。

人は、見聞きした内容と一緒に、それまで自分が経験してきた事や知識を総動員して脳の中で処理して判断します。

しかし、人間には感情というものもあり、自分に都合が悪い事には目をつむってしまったり、正当化したり、美化してしまい正しい判断能力を狂わせてしまうことが度々あります。

それは、
     「世間体」であったり

     「見栄」だったり

     悪い意味での「責任感」だったり

色々なことが考えられます。


例えば、闇金融などからお金を借りてしまい借金取りから追い込まれている人などは、自分に都合が良いように

     闇金融=悪人

     自分=被害者(善人)

と言うように、自分の都合の良い方程式を作ってしまい平然と弁護士や警察などに相談に行ったりします。


しかし、その陰には闇金融に手を出すまで荒んでしまった自分の乱れた生活や考え方が原因としてある訳です。


当然このような人達は、はじめはクレジットカードなどに始まり、サラ金、そして自転車操業に陥り、お金を借りるところがなくなり、自ら闇金融と知りながら、そして、その闇金融に返済できる当てもないのに自ら手を出しているのです。

法外な金利でお金を貸している闇金融と知ってお金を借りている訳ですから、解決方法は、きちんと約束通りの利子を付けて返済するか、夜逃げでもするしかないのです。

このような人達は、身内や家族、友人達には、そのような格好悪いことがバレないように、今の生活を維持したいという自分勝手な都合から、必要以上に悩み、苦しんだ挙げ句、まるで自分は被害者のように恥ずかしくもなく弁護士や警察に相談しに行くのです。

しかし、実際のところ、このような人達も心の中では、返済するか夜逃げするしかない事くらい自分が一番知っているのです。

このような悲惨な結果をまねかないためにも、普段の生活の中で、小さな買い物や遊びの時も、心の声に耳を傾け、正しい行動をとり、その行動の結果、将来自分に幸福が訪れるのか・・・不幸が訪れるのか真実を見抜く目を養わなくてはいけないのです。


以前、テレビを見ていた時にヨットで世界一周をした冒険家が、冒険の途中に何度も判断に迷ったことがあったが、最終的には

頭で考えるのではなく『心で感じた』行動に従った

と言っていました。

その結果、最悪のピンチを免れることが出来たのだそうです。

私達は、普段の生活の中で誰かの言葉を聞き、根拠はないけど「この人の言っていることは正しい」とか「この人の言葉に何か力を感じる」と思う時がありますよね。

その逆で、理路整然と話をする人の言葉にも「何か違っている」とか「信用できない、嘘くさい」と感じることもあります。

ですから、「真実を見抜く目」と言うのは、それまでの経験や知識を基に頭で考えて判断することも決して間違いではありませんが、それにプラスして心で感じることが大切です。

その為には、日頃から自分の心を常に真実に対して敏感に反応するように心がけておくことが大切だと思うのです。

じゃぁ、その為にはどうすれば良い?

と言うことになると思いますが、私だって常に進歩しようと努力している未熟な人間です。

しかし、これらのヒントは、私が前回までに紹介している書籍の中にあるかも知れません・・・。

心を純粋で透明にして、真実を敏感に感じる心で読んでみてください。


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