東日本大震災から約2年半の月日が流れました。
福島県は、地震や津波の被害だけではなく原発事故という重大な被害が加わり、福島第一原子力発電所から半径20kmが立入の出来ない警戒区域となってしまいました。
現在は、放射性物質の汚染状況により帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域などに区別され、人は住めないものの、かなりの範囲が誰でも自由に出入りできるようになりました。
しかし、それらの場所の復興は殆ど手つかずの状態で、いまでも水道や電気は復旧していない場所が殆どですし、建物は壊れたままで雑草が生い茂り、町全体が世の中から取り残されたような状態になっています。
今回ブログにUPした写真は、順不同ですが今年の5月頃から7月にかけて撮影したものです。
下の写真は、JR富岡駅の写真で震災直後から比べれば、瓦礫などはきれいに片付けられて撤去されていますが津波で流された車の一部は、いまだに一旦集められた場所に放置されたままの状態です。
ホームの間の線路は、雑草が生い茂りレールはまったく見えない状態で、津波で流されてきた車が放置されままになっています。
本来であれば海にあるはずの漁船も、流されてきたままの状態で雑草が生い茂った荒れた田んぼに放置されたままになっています。
こちらは、JR夜の森駅前の自転車置き場。
自動車学校の荒れた教習コース。
建物が道路まで崩れ落ちているのに撤去されることなく2年以上も放置されたままの状態です。(双葉町)
今にも崩れ落ちそうな建物があちらこちらにあるのに取り壊されることもなく放置されています。(浪江町)
人が住んでいない町は、野生化した動物の天国となっています。
写真は、野生の猪と家畜の豚が交尾して出来たイノブタと思われます。イノブタは繁殖力が強く今後増え続けていけば大きな問題になりそうです。
ここまで植物に飲み込まれてしまうと、もはや建物にたどり着くのは不可能な状態です。
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福島県は、地震や津波の被害だけではなく原発事故という重大な被害が加わり、福島第一原子力発電所から半径20kmが立入の出来ない警戒区域となってしまいました。
現在は、放射性物質の汚染状況により帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域などに区別され、人は住めないものの、かなりの範囲が誰でも自由に出入りできるようになりました。
しかし、それらの場所の復興は殆ど手つかずの状態で、いまでも水道や電気は復旧していない場所が殆どですし、建物は壊れたままで雑草が生い茂り、町全体が世の中から取り残されたような状態になっています。
今回ブログにUPした写真は、順不同ですが今年の5月頃から7月にかけて撮影したものです。
下の写真は、JR富岡駅の写真で震災直後から比べれば、瓦礫などはきれいに片付けられて撤去されていますが津波で流された車の一部は、いまだに一旦集められた場所に放置されたままの状態です。
ホームの間の線路は、雑草が生い茂りレールはまったく見えない状態で、津波で流されてきた車が放置されままになっています。
本来であれば海にあるはずの漁船も、流されてきたままの状態で雑草が生い茂った荒れた田んぼに放置されたままになっています。
こちらは、JR夜の森駅前の自転車置き場。
自動車学校の荒れた教習コース。
建物が道路まで崩れ落ちているのに撤去されることなく2年以上も放置されたままの状態です。(双葉町)
今にも崩れ落ちそうな建物があちらこちらにあるのに取り壊されることもなく放置されています。(浪江町)
人が住んでいない町は、野生化した動物の天国となっています。
写真は、野生の猪と家畜の豚が交尾して出来たイノブタと思われます。イノブタは繁殖力が強く今後増え続けていけば大きな問題になりそうです。
ここまで植物に飲み込まれてしまうと、もはや建物にたどり着くのは不可能な状態です。
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カルタゴはローマに滅ぼされ二度と農耕ができなくなった(すべての土地に海水がまかれた)
僕たちのんきな日本人がはじめて遭遇する「住めなくなった土地」
これは終わりの始まりなんだろうか
それともヒロシマのように「高度成長の始まり」なんだろうか
それじゃぁ、あの時の私たちの気持ちはご理解いただけますよね。
私は、当時、仕事の関係で逃げるわけにもいかず、せめて家族だけでも避難させたかったのですが、ガソリンがなくて避難させることもできない・・・そんな辛い思いをしました。
あんな思いはもうたくさんです。
でも、本当にそれで良いんでしょうか?
本当に安全なんでしょうか?
放射線による人体に対する影響や危険性も分からないまま、ただ単に、保障の対象地域を最小限にしたいだけのようにも感じます。
実際、帰っていいと言われても放射線の影響が分からない危険な場所に誰が帰るでしょうか?
ましてや、家は雨漏りで腐りだし、室内はネズミの糞だらけという現状です。
原発事故で被害を被った町の除染や復興なんて、現時点では絵空事のような気がします。
あのとき、幼い孫と妊娠中のお嫁さんを
必死の思いで避難させたときのことを思い出すと
今でも涙が出ます。
同時に失ったものの大きさに悔しさでいっぱいです。
今日は広島の原爆の日。
原爆と原発は別だと言う人もいますが、
命と核とは決して共存できないものですよね。
この事実を 忘れることなく伝え続けなければいけないと 強く思います。
原発の被害を被った町が 復興しなければ 震災の復興の完了はないと思います。
でも、何を持って安全を確認したのか、その基準は本当に安全なのか分かりません。
福島第一原発だって安全だ!安全だ!と言われ続けてこの結末です。
また「想定外」という便利な言葉でごまかされてしまうんでしょうか。
エネルギー問題や温暖化問題などを考えると原発に頼りたい気持ちも分からんではないのですが、どこかの原発で、また同じような事故が起きないとは誰も保証できないでしょう。
そして一番の犠牲に会うのは、その周辺に住む住民なんです。
福島原発が次々と爆発していったときの、あの時の恐怖や喪失感・・・・言葉では言い表せません。
あんな思いをさせておいて、「原発再稼動」などと良くも言えたものだと思います。
愚痴になってすみませんでした。
このような写真を見せて頂くと、
原発事故がもたらした悲惨な現実を
あらためて思い知らされます。
私にも帰れない親戚、知人がたくさんいますので。