正確な時間を刻む時計はいくらでもある。
最近は、電波時計もあるから1秒の狂いもなく生活できる。
僕たちの周りは、テレビやラジオ、そして電車など・・・分刻みや秒刻みで動き みんながそれにあわせて生活している。
それは、みんなが快適に生活するために作り出された「時間」という画期的な共有の基準
でも・・・なんだか息が詰まりそうだ。
だから この前 僕は 自分の腕時計を わざと2分だけ遅らせてみた。
たったの2分・・・・。
だけど、たった2分だけ生活を曖昧にしたら 締め付けられていたネジに適度な遊びが出来たように 心にも余裕が出来た。
ほんの少しだけ 時間の支配から解放された気がした。
もしかすると、2分という時間には関係ないのかも知れません。
2分でも3分でも、進めても、遅らせても。
「少しくらい時間に対して曖昧に生きても良いじゃん」という覚悟が出来た瞬間に、時間の殻から抜け出せたような開放感が生まれ、心にゆとりを持たせてくれるのかも知れません。
ウチはちび子の支度が遅いため
何度進めようと思ったことかっ!!!
でもやめました。[諦]
たった2分でも、心のゆとりが生まれる。。
せわしない日常の中のゆとりは大切な宝ですね。
お名前とタイトルのご説明、ありがとうございました☆
今後ともよろしくお願いいたしまする♪