本日の散歩ルートは以下の通りです。
ルート:武蔵境駅~国木田独歩の文学碑~玉川上水の碑~名勝小金井桜碑~都立小金井公園(石神井川上流端、江戸東京たてもの園)~大尽の坂~黄金の水(宝永四年六地蔵)~妙貫坂~金井原古戦場の碑~質屋坂~なそい坂~念仏坂~平代坂~弁車の坂~荒牧坂~さわらび坂~三楽の坂~くらぼね坂~府中の森公園~府中の森芸術劇場~東府中駅
10:00頃、武蔵境駅へ到着。
北方向、直線距離約820m先へ移動。
10:15頃、「国木田独歩の文学碑」へ到着。
「国木田独歩」の小説「武蔵野」に登場する「桜橋」の付近に立つ記念碑です。
近くには「独歩橋」もありました。
西北西方向、直線距離約580km先へ移動。
10:25頃、「玉川上水の碑」へ到着。
西方向、直線距離約1.7km先へ移動。
10:50少し過ぎ頃、「名勝小金井桜碑」へ到着。
小金井市は都内の桜の名勝地として知られています。
そう言えば春先に訪れた事は無かったので、
来年覚えていたら来てみたいと思います。
北西方向、直線距離約40m先へ移動。
10:55頃、「都立小金井公園」の正門口へ到着。
まずは公園を縦断して、790m先を目指します。
11:15頃、「石神井川上流端」へ到着。
ここから上流方向は暗渠となっているため、ここに上流端の標識があるようです。
石神井川の水源は、公園に隣接するゴルフ場敷地内の湧水のようです。
再び公園内へ戻り、園内にある「江戸東京たてもの園」を目指します。
11:40少し過ぎ頃に入口へ到着。
「失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する」というコンセプトの屋外博物館です。
入場料(予約)¥400を払って中に入りました。
展示されている建物の中に入って見学する事も可能です。(土足厳禁)
【西ゾーン】
山の手通りに面していた住宅や茅葺きの民家を復元したものが並んでいます。
【センターゾーン】
歴史ある建物が復元されて展示されています。
【東ゾーン】
昔の下町にあった建物を復元しています。
昭和初期の雰囲気が残る街並みで、
ジブリの映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のデザインの参考にされたそうです。
13:35頃、公園の外に出ました。
南南西方向、直線距離約270m先へ移動。
13:45頃、「大尽の坂」の坂上へ到着。
この道に面して西側に醤油醸造業を営んでいた富豪が住んでいて、
近隣の人が醤油を求めるために通った坂が、
「大尽の坂」と呼ばれるようになったのだとか。
南南西方向、直線距離約1.1km先へ移動。
14:05頃、「黄金の水(宝永四年六地蔵)」へ到着。
「六地蔵」の傍の井戸から汲み上げられた天然水が、
付近の方から「六地蔵のめぐみ黄金の水」と呼ばれるようになったそうです。
水汲み場には専用の蛇口があり、
登録料500円を支払って会員にあると、
蛇口の水栓鍵を受け取って自由に利用が可能になります。
試飲用蛇口もあります。
ここからは、小金井市の坂巡りとなります。
6月12日の散歩の際に俄雨で回り切れなかった分のリベンジです。
南南西方向、直線距離約160m先へ移動。
14:10頃、「妙貫坂」の坂上へ到着。
この坂の下にある金蔵院の前身である観音寺の坊の名から取られたとも、
墓守の名であったとも言われています。
南南西方向、直線距離約150m先へ移動。
14:15頃、「金井原古戦場の碑」へ到着。
南北朝時代に起こった武蔵野合戦の戦場の一つで、
北朝の足利尊氏と南朝の新田義興・新田義宗兄弟の軍勢が激突した場所です。
西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:20少し過ぎ頃、「質屋坂」の坂下へ到着。
昔この坂の近辺に質屋を営む者がいて、
それに因んで呼ばれるようになったようです。
西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:30頃、「なそい坂」へ到着。
「なそい」とは斜めの意味だそうです。
西北西方向、直線距離約190m先へ移動。
14:35少し過ぎ頃、「念仏坂」の坂下へ到着。
昔東側に墓地があって淋しい道だったので、
ここを通る人がいつしか念仏を唱えるようになった事から
この名で呼ばれるようになったそうです。
坂上から見ると、途中で右折して細い路地へ入って行く坂道です。
西北西方向、直線距離約130m先へ移動。
14:40少し過ぎ頃、「平代坂」の坂上へ到着。
昔、坂の東側に住んでいた梶平太夫という者が玉川上水の分水を使って水車を回したので「平太坂」と呼ばれていたが、
いつしか「平代坂」と呼ばれるようになったそうです。
西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
14:45少し過ぎ頃、「弁車の坂」の坂下へ到着。
昔、この近辺の土地の所有者で鈴木弁次郎という者が池の水を利用して水事業を営んだ事から、
この坂名で呼ばれるようになったそうです。
坂上には「滄浪泉園」がありますが、本日は時間の都合で入園を見送りました。
南西方向、直線距離約180m先へ移動。
15:00頃、「荒牧坂」の坂下へ到着。
この近辺には「荒牧」の名が付く橋や場所があるため、
何らかの関係性があると思われます。
現在は「新小金井街道」によって分断されていますが、
以前は「滄浪泉園」の南側へと延びていたと思われます。
南西方向、直線距離約70m先へ移動。
15:05頃、「さわらび坂」の坂上へ到着。
宅地開発によって出来た比較的新しい坂で、謂れなどはないようです。
坂名は近辺にある保育園の名から取られたとの事です。
西方向、直線距離約170m先へ移動。
15:10少し過ぎ頃、「三楽の坂」の坂下へ到着。
坂の東側にある「三楽の森」から付けられた坂名と思われます。
「三楽の森」はNECの創立者でもある前田武四郎の別荘「三楽荘」があった場所でもあります。
西方向、直線距離約340m先へ移動。
15:25頃、「くらぼね坂」の坂上へ到着。
昔、坂の東が切り立つような赤土の崖で、
雨の降る時などは人も馬も滑って鞍(馬)でも骨を折る事から、
この名で呼ばれるようになったそうです。
小金井市の坂巡りはここまで。
南方向、直線距離約2.0km先へ移動。
16:05頃、「府中の森公園」へ到着。
6月18日の散歩で見つからなかったパブリックアートを探す事が目的です。
公園の案内板にパレットのマークが付いている場所に作品が設置してあるそうなので、
前回見つからなかった以下二つの作品を写真に納める事が出来ました。
【鳩をもつ少年(作:舟越保武)】
【7月(七夕)の樹(作:向井良吉)】
続いて隣接する「府中の森芸術劇場」でもアート作品を見つけました。
【円柱領域(作:小田襄)】
【空に舞う(作:伊藤隆道)】
この後、直線距離約430m先の「東府中駅」へ向かいました。
16:35少し過ぎ頃に駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
ルート:武蔵境駅~国木田独歩の文学碑~玉川上水の碑~名勝小金井桜碑~都立小金井公園(石神井川上流端、江戸東京たてもの園)~大尽の坂~黄金の水(宝永四年六地蔵)~妙貫坂~金井原古戦場の碑~質屋坂~なそい坂~念仏坂~平代坂~弁車の坂~荒牧坂~さわらび坂~三楽の坂~くらぼね坂~府中の森公園~府中の森芸術劇場~東府中駅
10:00頃、武蔵境駅へ到着。
北方向、直線距離約820m先へ移動。
10:15頃、「国木田独歩の文学碑」へ到着。
「国木田独歩」の小説「武蔵野」に登場する「桜橋」の付近に立つ記念碑です。
近くには「独歩橋」もありました。
西北西方向、直線距離約580km先へ移動。
10:25頃、「玉川上水の碑」へ到着。
西方向、直線距離約1.7km先へ移動。
10:50少し過ぎ頃、「名勝小金井桜碑」へ到着。
小金井市は都内の桜の名勝地として知られています。
そう言えば春先に訪れた事は無かったので、
来年覚えていたら来てみたいと思います。
北西方向、直線距離約40m先へ移動。
10:55頃、「都立小金井公園」の正門口へ到着。
まずは公園を縦断して、790m先を目指します。
11:15頃、「石神井川上流端」へ到着。
ここから上流方向は暗渠となっているため、ここに上流端の標識があるようです。
石神井川の水源は、公園に隣接するゴルフ場敷地内の湧水のようです。
再び公園内へ戻り、園内にある「江戸東京たてもの園」を目指します。
11:40少し過ぎ頃に入口へ到着。
「失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する」というコンセプトの屋外博物館です。
入場料(予約)¥400を払って中に入りました。
展示されている建物の中に入って見学する事も可能です。(土足厳禁)
【西ゾーン】
山の手通りに面していた住宅や茅葺きの民家を復元したものが並んでいます。
【センターゾーン】
歴史ある建物が復元されて展示されています。
【東ゾーン】
昔の下町にあった建物を復元しています。
昭和初期の雰囲気が残る街並みで、
ジブリの映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のデザインの参考にされたそうです。
13:35頃、公園の外に出ました。
南南西方向、直線距離約270m先へ移動。
13:45頃、「大尽の坂」の坂上へ到着。
この道に面して西側に醤油醸造業を営んでいた富豪が住んでいて、
近隣の人が醤油を求めるために通った坂が、
「大尽の坂」と呼ばれるようになったのだとか。
南南西方向、直線距離約1.1km先へ移動。
14:05頃、「黄金の水(宝永四年六地蔵)」へ到着。
「六地蔵」の傍の井戸から汲み上げられた天然水が、
付近の方から「六地蔵のめぐみ黄金の水」と呼ばれるようになったそうです。
水汲み場には専用の蛇口があり、
登録料500円を支払って会員にあると、
蛇口の水栓鍵を受け取って自由に利用が可能になります。
試飲用蛇口もあります。
ここからは、小金井市の坂巡りとなります。
6月12日の散歩の際に俄雨で回り切れなかった分のリベンジです。
南南西方向、直線距離約160m先へ移動。
14:10頃、「妙貫坂」の坂上へ到着。
この坂の下にある金蔵院の前身である観音寺の坊の名から取られたとも、
墓守の名であったとも言われています。
南南西方向、直線距離約150m先へ移動。
14:15頃、「金井原古戦場の碑」へ到着。
南北朝時代に起こった武蔵野合戦の戦場の一つで、
北朝の足利尊氏と南朝の新田義興・新田義宗兄弟の軍勢が激突した場所です。
西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:20少し過ぎ頃、「質屋坂」の坂下へ到着。
昔この坂の近辺に質屋を営む者がいて、
それに因んで呼ばれるようになったようです。
西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:30頃、「なそい坂」へ到着。
「なそい」とは斜めの意味だそうです。
西北西方向、直線距離約190m先へ移動。
14:35少し過ぎ頃、「念仏坂」の坂下へ到着。
昔東側に墓地があって淋しい道だったので、
ここを通る人がいつしか念仏を唱えるようになった事から
この名で呼ばれるようになったそうです。
坂上から見ると、途中で右折して細い路地へ入って行く坂道です。
西北西方向、直線距離約130m先へ移動。
14:40少し過ぎ頃、「平代坂」の坂上へ到着。
昔、坂の東側に住んでいた梶平太夫という者が玉川上水の分水を使って水車を回したので「平太坂」と呼ばれていたが、
いつしか「平代坂」と呼ばれるようになったそうです。
西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
14:45少し過ぎ頃、「弁車の坂」の坂下へ到着。
昔、この近辺の土地の所有者で鈴木弁次郎という者が池の水を利用して水事業を営んだ事から、
この坂名で呼ばれるようになったそうです。
坂上には「滄浪泉園」がありますが、本日は時間の都合で入園を見送りました。
南西方向、直線距離約180m先へ移動。
15:00頃、「荒牧坂」の坂下へ到着。
この近辺には「荒牧」の名が付く橋や場所があるため、
何らかの関係性があると思われます。
現在は「新小金井街道」によって分断されていますが、
以前は「滄浪泉園」の南側へと延びていたと思われます。
南西方向、直線距離約70m先へ移動。
15:05頃、「さわらび坂」の坂上へ到着。
宅地開発によって出来た比較的新しい坂で、謂れなどはないようです。
坂名は近辺にある保育園の名から取られたとの事です。
西方向、直線距離約170m先へ移動。
15:10少し過ぎ頃、「三楽の坂」の坂下へ到着。
坂の東側にある「三楽の森」から付けられた坂名と思われます。
「三楽の森」はNECの創立者でもある前田武四郎の別荘「三楽荘」があった場所でもあります。
西方向、直線距離約340m先へ移動。
15:25頃、「くらぼね坂」の坂上へ到着。
昔、坂の東が切り立つような赤土の崖で、
雨の降る時などは人も馬も滑って鞍(馬)でも骨を折る事から、
この名で呼ばれるようになったそうです。
小金井市の坂巡りはここまで。
南方向、直線距離約2.0km先へ移動。
16:05頃、「府中の森公園」へ到着。
6月18日の散歩で見つからなかったパブリックアートを探す事が目的です。
公園の案内板にパレットのマークが付いている場所に作品が設置してあるそうなので、
前回見つからなかった以下二つの作品を写真に納める事が出来ました。
【鳩をもつ少年(作:舟越保武)】
【7月(七夕)の樹(作:向井良吉)】
続いて隣接する「府中の森芸術劇場」でもアート作品を見つけました。
【円柱領域(作:小田襄)】
【空に舞う(作:伊藤隆道)】
この後、直線距離約430m先の「東府中駅」へ向かいました。
16:35少し過ぎ頃に駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
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