知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

日曜美術館「シーボルト 幻の日本博物館」

2018年04月10日 06時08分10秒 | 日本の美
日曜美術館「シーボルト 幻の日本博物館」(2016.7.24:Eテレ)

 幕末の日本(長崎の出島)にオランダ商館員として来日して「鳴滝塾」を開き、西洋医学を日本に伝えた医師・・・シーボルトに関する私の知識はこれだけでした。
 ただ、日本の物産を自国に持ち帰る収集家であったことも耳にしていました。花のスケッチは有名ですね。

(初来日時)

(再来日時)


 シーボルトは、27歳の時に初めて来日しました。有名な「シーボルト事件」で国外追放になるものの、それから30年後に国の外交担当として再来日します。その際に収集した日本の物産・工芸品をドイツで展示していたのでした。ただ、その最中に無理がたたって命を落としたため、それらの品々はお蔵入りし、長らく眠ることになりました。
 近年、それが再評価され、日本の国立博物館などが調査に乗り出し、今回の番組作成につながったようです。

 幕末から明治にかけての日本は、西洋に追いつけ追い越せとしのぎを削って西洋文明・文化を輸入した時代です。その際に、日本古来の伝統は「古くて価値のないもの」として捨て去ってしまいました。現代に生きる我々がそれを知ろうとしても、残っていないのです。
 ところがシーボルトがそれを国外に保管しておいてくれました。
 シーボルトの「日本博物館」は、幕末の日本文化のショーケースです
 それらに触れることにより、当時の日本人の生活をしのぶことができます。







 シーボルトの収集品は高価な美術品ではなく、庶民目線の工芸品が多いようです。
 また、学術的なものもあり、その中の地図が物議を醸し出した一因かもしれません。

 シーボルトは日本の庶民信仰を「パンテオン」(様々なローマ神を奉る万神殿)と表現しました。万物に神の存在を感じる日本の宗教心を、ギリシャやローマのような多神教と共通すると読み取ったのです。
 すばらしい観察眼です。

 特に私が惹かれたのは、日本人絵師(川原慶賀)に描かせた人物画。
 「男伊達」(下図中央)なんて、我々のイメージの源泉ではないでしょうか。



 ふつう、当たり前のことは記録に残りにくいのですが、見聞きすることがすべて新鮮だったシーボルトは、日本人の生活や姿を残しておきたいと描かせたのですね。

 シーボルトさん、ありがとう。


<内容>
 ドイツの古城に、大量の日本の美術品や民俗資料が未調査のまま埋もれていた。収集したのは、幕末の日本から地図を持ち出した事件で知られるシーボルト。彼は、世界初の日本博物館を作ろうとしていたのだ。その内容は今までなぞに包まれ、幻とされてきたが、国立歴史民俗博物館などがその全貌を初めて再現した。西欧のジャポニスムより早く、初めて日本を紹介しようとしたシーボルト。彼は日本のどのような魅力を伝えたかったのか?


<参考>
■「出島絵師」川原慶賀による《人の一生》の制作」(野藤妙 宮崎克則 西南学院大学国際文化学部)
■「長崎絵師 川原慶賀
■「シーボルト・コレクションにおける川原慶賀の動植物画と風俗画」(野藤 妙)
コメント
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