葛飾北斎・・・しばらく前までは「富嶽三十六景」くらいしか知りませんでした。
しかし1999年アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、唯一ランクインした日本人として俄然注目。
私のつたない”北斎経験”を書き留めておきます;
★ BSベスト・オブ・ベスト ハイビジョンスペシャル「葛飾北斎」
▽4人の文化人がさぐる不朽の名作
▽富嶽36景・北斎漫画など不朽の名作の秘密を読み解く
【出演】(写真家)浅井愼平、(漫画家)黒鉄ヒロシ、(俳優)板東英二、(作家)いとうせいこう、(画家)平松礼二
2010年12月に再放送されたものを拝見しました。
4人の文化人がそれぞれの視点で北斎を語る番組構成。
■ 「赤富士」の分析(担当:浅井慎平)
富士山を赤く描くなんて、想像上の作りものでは・・・と思いきや、実際に赤富士は存在したのでした。
ただし、年に数回しか見ることのできない”幻の富士”らしい。”赤富士専門写真家”も存在するとか。なんでも、前日雨が降って岩に水がしみ入り、夜間に止んで朝日が岩を照らすときに赤く見えるのだそうです。番組の中で、実際に富士山から持ち帰った岩に水をかけて実演していました。
また、北斎の赤富士の頂上付近は黒っぽい配色です。これは、雲の影らしい。
創作と思い込んでいた赤富士は、変化する富士の一瞬を捉えた芸術だったのですね。
脱帽!
さらに、北斎は版画の複製を作る際の細かい指示を残しています。その文章が茶目っ気たっぷりで面白い。
”東海道五十三次” で有名な同時代の版画家・安藤広重との比較も紹介されました。広重の版木はシンプルで、後から絵の具で背景に手を入れなければならない一方で、北斎のそれは「指示通り作れば同じものができる」ほど完成度が高かったようです。
北斎の作品には遠近法が導入されています。でも、約束事にとらわれず、強調したいもの・・・例えば富士山は遠近法の先にド~ンと鎮座させたり、もうやりたい放題。
■ 「北斎漫画」の分析(担当:黒鉄ヒロシ)
マンガの歴史は北斎にはじまった?
北斎は「北斎漫画」という膨大なイラスト集を残しています。長年出版し続けて15巻あるそうです。手元に近年発行されたダイジェスト版があるのですが、森羅万象のちょっとした瞬間・表情を見事に切り取ったイラストが満載され、息づかいまで聞こえてきそう。その画力・観察眼に黒鉄ヒロシさんも驚嘆の声を上げていました。
■ 「手絵本」の分析(担当:いとうせいこう)
北斎は「絵の描き方」の類の教則本も残しています。
それが堅苦しいものではなく、字をもじって絵にしたり、しりとり風に連想して絵を描いたりと、遊び心にあふれた代物。
番組の中で、いとうせいこうさんは漫画家二人(しりあがり寿、吉田戦車)を呼んで「北斎絵画教室」を開きました。
ひらがなの「あ」や「ら」からはじまる絵を描いてください・・・と突然云われてドギマギする漫画家二人。出来上がったものを北斎作品と比べると、一目瞭然、北斎一人勝ちでした。
瞬間のしぐさを捉える観察眼と画力はマネのできない天性のものなのでしょう。
■ 「肉筆画」の分析(担当:平松礼二)
私は知らなかったのですが、北斎は晩年に肉筆画も残しました。
平松さんは日本画家です。アトリエにはおびただしい数の絵の具があり、絵の具フェチでもあるようです(笑)。
彼は北斎作品が残されている長野県小布施の岩松院に通いました。そこには色彩鮮やかな孔雀の絵が天井いっぱいに描かれているのでした。陰影に富んだ色使いや細かい裏技の数々が紹介されました。
また、北斎は絵の具の作り方も本に残しています。一度のめり込んだらとことん突き詰めてしまうタイプなんですねえ。
私は北斎を ”ストイックな求道者として富嶽三十六景を仕上げた絵画職人” というイメージで今まで捉えていましたが、実物は全然違うようです。
自らを「画狂老人」と称して、もう何でもあり! ・・・ひたすら絵を描くことに88年の長寿をつぎ込んだ北斎像が浮かんできました。
誰も到達できない境地を見たことでしょう。
なお、「ホクサイ」という雅号をかっこいいと思っていた私ですが、実は「アホクサイ」をもじったものとか、「屁クサイ」をもじったものという説が有力です。なんてこと!
あ、番組中の板東英二さんは滝沢馬琴に扮した案内役です。