知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

新渡戸稲造「BUSHI-DO」

2017年05月01日 07時42分53秒 | 日本人論
録画してあったBS-TBS「THE歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜新渡戸稲造」をGWに観ました。
放送は2015年5月。



<内容紹介>
 今回の列伝は武士道を世界に広めた教育者・新渡戸稲造。明治時代、西洋列強から野蛮と思われていた日本。新渡戸は日本人の魂を体系化した本「武士道」を英語で出版、世界的なベストセラーになった。その後、日本が誇る国際人として国際連盟の事務次長として活躍。しかし、昭和8年、晩年の新渡戸にカナダでの国際会議の団長としての命が下った。それは軍国主義の道を突き進む日本に残された、唯一の外交の場であった。新渡戸は渾身の演説を残すも…


 新渡戸稲造は五千円札の肖像画としてお馴染みですが、詳しいことは知りませんでした。
 ただ、「武士道」の著者として時々話題になるので、気にはなっていました。

 この番組を観て、そのスケールの大きさに圧倒されました。

 諸外国から「刀を振り回す蛮族」として捉えられていた幕末〜明治時代の日本人。
 若き国際人としてその誤解を解くべく表したのが「BUSHI-DO」(英語)です。
 この書物は17カ国語に翻訳され、アメリカ大統領のルーズベルトも読んで感銘を受けたという記録が残っています。

 そして新渡戸稲造は、国際連盟の初代事務次長に就任し、世界平和を達成するべく尽力しました。
 しかしその意図に反して日本の軍国主義の勢いは止まらず、なし崩し的に第二次世界大戦へ突入。
 新渡戸による釈明の甲斐なく「やはり日本人は蛮族であった」とみなされることになり、新渡戸は失意に沈んだことでしょう。

 新渡戸稲造はクラーク博士が在籍した札幌農学校(現北海道大学)で勉学に励みました。
 新進気鋭の学舎には全国の秀才が集まり、授業はすべて英語だったそうです。
 当時の同期生には内村鑑三がいて、成績トップを競いました。記録によると、内村が1番、新渡戸は3番か4番だった様子。
 札幌農学校卒業後に東京大学にも一時在籍しましたが、そのレベルの低さに失望し(?!)、アメリカ留学を決意したそうです。
 東大よりも北大の方がレベルが高かった・・・そんな時代があったのですねえ。

 
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