巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

「カキと森と長靴と」

2018-01-28 08:12:04 | 漁業
2018年1月20日、NHK・Eテレで放映。



海は森の恋人」で有名になった畠山重篤氏を知ったのは20年くらい前でしょうか。
カキ養殖を生業とする畠山さんは、良いカキが育つには植物プランクトンが豊富である必要があり、それは豊かな森林がはぐくむ水が根源であることを突き止めました。
山の恵みの水には「酸化しにくい鉄分」が含まれていたことがポイント。
彼は森に木を植え始めました。
森が生き返れば海がよみがえるという発想です。
当初、周囲から白い目で見られても何のその。
それから20年、赤潮に悩まされた気仙沼の海が植物プランクトンに満たされ、里海が復活したのでした。

その畠山さんの近況を伝えるドキュメンタリーを拝見。
東日本大震災後にテレビでチラ見した畠山さんは「食欲が戻らない」とやせこけていて心配しましたが、今回の映像では元気そうで安心しました。
震災後の舞根(気仙沼市)の海水調査で「カキが食べきれないほどのプランクトンがいますよ」と報告を受け、落胆していた心を奮い立たせてカキ養殖を再開するに至りました。
津波で里海はいったん死んだけど、里山と川が元気であれば容易に復活することを確信したのです。
今は息子さん3人が力を合わせてカキ養殖を継いでいます。
引退した畠山さんが好々爺として孫に里海で生きるすべを教えている姿は喜びに満ちていました。
そのお孫さんが、1人で船を漕いで海に出て行くラストシーンは、映画のように感動的です。

番組内容
ETV特集「カキと森と長靴と」
東日本大震災で高さ20mの津波が気仙沼を襲う。海の生き物は全滅したかに見えた。絶望の海でカキ養殖を再開させたのが畠山重篤。「森は海の恋人」という名言を生んだカキ養殖家だ。震災で海は死に絶えたかのように見えたが畠山は確信していた。海は自らの力で必ず回復する、と。NHKは震災直後から養殖再開に挑む畠山を密着。海と山が融合しながら浄化していく様を、畠山のモノローグと4K撮影で映像美を追求した番組。



震災を受けた「森は海の恋人」の畠山さん近況

2011-08-01 06:33:39 | 漁業
 「豊かな漁場は森が造る」として「森は海の恋人」運動で有名な畠山重篤さん。
 活動場所の気仙沼は東日本大震災で甚大な被害を被った土地です。
 その畠山さんから、漁場も復活の手応え有りとのうれしい報告が河北新報(2011年7月31日版)に掲載されました。

■ 仏からの恩返しに感銘/カキ養殖業(気仙沼市唐桑町)・畠山重篤さん

 東日本大震災から4カ月余りが過ぎ、行方不明だった方の死亡届が家族から出され、葬儀に参列する機会が多くなっています。あらためて悲しみを深めながらも、養殖の再開に向けた作業を続ける毎日です。
 海につるす種ガキをロープに挟む作業に加え、養殖施設のいかだ作りも進めています。出来上がったのは20基ほどですが、秋までには震災前の70基まで復活させたい。
 材料は近くの山から杉を切り出しているので、間伐も同時に進みます。長年、「森は海の恋人」運動を展開してきましたが、今まさに「森から海まで」の仕事をしています。
 あれだけの大津波の影響で沿岸域の生態系がどうなるのか、海に生物が育つ下地があるのかどうか、とても心配でした。徐々に魚は増え、カキの成育も順調です。
 海の復活は専門家の目からも明らかになりました。5月から毎月、わが家を拠点に養殖場周辺の海洋を調査している京都大の研究者によると、津波の後、海水中の酸素量やカキの餌となるプランクトンが非常に多くなっているとのこと。大きな力を得た思いです。
 カキ養殖の再生に、海外からの後押しもあります。フランスの料理人たちの団体「司厨士(しちゅうし)協会」から「日本の食材の復興を支援したい」と申し出があり、種ガキの主産地・万石浦(石巻市)の生産者に義援金が送られることになりました。1960年代にフランスでカキの病気が広がった際、万石浦から種ガキが輸出されたことへのお返しだそうです。
 知り合いの日本人シェフを通じて仲介役を務めることになり、6月中旬にパリで開かれたチャリティーパーティーに招かれました。約250人が集まり、2000万円近くが寄せられました。種ガキを載せる棚の復旧資金に充てようと、現在調整を進めています。
 パーティーでは、温かい励ましの言葉もかけてもらいました。フランスの人々の時を超えた感謝の思いに、深く感銘を受けています。


 地震・津波は自然の驚異ではありますが、自然は自己回復力・自浄能力を備えているのですね。
 一方、原発事故~放射能汚染という人為的被害は・・・言葉になりません。