巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

月明かりの多々良沼

2017-01-21 22:57:33 | ふるさと
 満月が朝方沈む頃を狙って近隣の沼に撮影に出かけました。
 車外温度はマイナス3℃。
 手がかじかんで動かなくなり、途中からカメラの細かい操作ができなくなってしまいました(T_T)。

 当初、鴨たちは眠っていたようですが、撮影場所が餌場だったらしく、だんだん鳥たちが集まってきて、白鳥まで登場しました(^^)。




「川合玉堂」

2013-07-14 11:04:36 | ふるさと
 版画が好きな私には珍しく、日本画家の登場です。
 先日NHKの日曜美術館で「山河よ ふるさとよ 日本画家 川合玉堂」と題して放映されました。











日本の詩情豊かな自然と、そこで生きる人々の営みを生涯描き続けた川合玉堂(1873-1957)。生誕140年の今年、その全貌に迫る展覧会が開かれている。
玉堂が描くのはいわゆる大自然ではなく、里山のような、自然と人が共存する心温まる世界。田植えにいそしみ、馬とともに峠を越える人々の姿を描いたその絵は、東日本大震災以降さらに多くの人の共感を集めている。
日本人なら誰もが「懐かしい風景」と感じる玉堂の絵。実はそこには、ある工夫が施されている。ありのままの景色を忠実に再現するのではなく、現実の自然や人々の営みを大量にスケッチしたのち、それを改めて再構築し、最高の心象風景を作り上げていったのだ。だからこそ、その絵には普遍的な輝きが宿り、「日本の原風景」として愛されていった。
明治・大正・昭和と画壇をけん引した巨匠・川合玉堂。時代を超え今も多くの人をとらえ、色あせることのない玉堂芸術の神髄に、玉堂の画力に魅せられ続けてきたという気鋭の日本画家・松井冬子さんの読み解きで迫っていく。


 日本の自然風景の中にそこで暮らす人々を書き込む画風。
 文字通り「日本の原風景」を絵で表現した人です。
 川瀬巴水のような「郷愁感」を誘う作風ではありませんが、より写実的でハッとする構図、さらに人物の書き込みはより詳細で、その時代に生きた人々の貴重な記録でもあります。

 橋下雅邦を師とし、東山魁夷を芸大の生徒として育てました。

 手元にいくつか画集があるのですが、この番組を見てからもっと大きな絵を見たいと思いました。
 細かい技や味わいが、画集の小さな絵では把握しきれません。

 現在「生誕140年記念展」を開催しているのですね。
 暑いけど、行ってみようかなあ。

「子どものいた街」井上孝治写真集

2010-03-07 22:26:39 | ふるさと
河出書房新社(2001年発行)

昭和30年前後の九州、太宰府周辺で撮影された子どものいる風景を中心にまとめた写真集です。
カメラマンは生まれつき耳の聞こえない方だそうです。

土門拳氏の「昭和の子どもたち」の写真に魅せられました。

「なんて生き生きした表情をしているんだろう」

もっと彼ら(=自分の幼少期に重なりますが)の姿・顔を見たいという欲求がフツフツと沸いてきました。
そしてこの写真集に辿り着きました。
やはり生き生きとした子ども達がそこにいました。

不思議なことにいわゆる「カメラ目線」の顔がありません。
皆自然体で遊びに夢中になっています。
カメラを前にしても微塵の緊張感も感じられない・・・カメラマンのテクニックでしょうか。

写真集の表紙は男の子の道端遊びの定番「陣取り」です。
私もやりましたやりました!
大きな四角を道に描き、四隅に小さな陣地を描き、小石を指ではじいて3回で自分の陣地に帰ってくるのです。
うまく陣地に戻れれば、石の軌跡が新たな陣地となり広がります。

他にもいろんなことをして遊んでいる子ども達がたくさん写っています。
一人でいるのはつまらない、友達が数人集まればじゃれ合い、遊び始めます。
何でもいいんです。
みんなでいることが楽しそうです。

大人は働き、子どもは遊ぶ。

なぜこんなによい表情をしているんだろう。
守られている安心感と自由が与えられているからかな。

経験を積んだ兄貴や姉貴がついていて危ないことには目を光らせています。
「あれはダメ、コレもダメ!」という人はいません。
子ども社会のルールを実践で学び取っているとも云えますね。

今の子どもは安心を与えられず、自由も与えられない。
人生ってなんて窮屈なんだと感じているのか、天真爛漫な笑顔をみることが少なくなりました。

カメラマンの井上氏も昭和40年代に入り、街で遊ぶ子ども達の姿が減ってきたら写真を撮影しに出かける回数が激減したと記されています。