2007年、新潮文庫(単行本は2000年発行)。
”鎮守の森” のイメージは、近所の神社のイメージに重なります。
子どもの頃の風景は一変しているけど、神社と鎮守の森だけはずっと同じ姿を保ったまま。
そこは神様が鎮座する聖なる場所です。
著者は植物生態学者で宗教研究家ではありません。
そして、この本の内容も植物生態学から見た ”鎮守の森” となっています。
信仰という要素はほとんどなし(後半の曹洞宗住職との対談では出てきますが)。
彼が定義する ”鎮守の森” とは「ふるさとに木によるふるさとの森」。
これを「潜在自然植生」と呼んでいます。
単純ですが奥深い表現。
「ふるさとの木」とは戦後植林されたスギやヒノキではありません。
その土地の気候・土壌に合った樹木を指します。
私が知っている樹木はせいぜいスギ、ケヤキ、クスノキ、マツ、カヤくらいで、この本の出てくる樹木は名前こそ知っていますが実物のイメージが沸かないものばかり・・・自分って日本の樹木をほとんど知らないことに気づかされて愕然とした次第です。
さて、ドイツ留学から帰国後の彼のキャリアは、それを探すことからはじめました。しかし、日本の現状は・・・
「国土の60%強が樹林で覆われているにもかかわらず、現地調査をすればするほど、自然の森・本物の森が少ないことを知り愕然とした。」
そこで注目したのが ”神社境内にある木々” 。
昔からある森には「ふるさとの木」のヒントが隠されていたのでした。
膨大な調査の後、著者は日本の「ふるさとの木」を探し当てました。
鎮守の森には植生サイクルを大切にしてきた日本人祖先の精神が宿り、防災にも役立つ要素があることも指摘しています。
森の特徴は多様性。高木・亜高木・低木・下草の四層構造で、競争・共生の微妙なバランスの元、生態系を維持しています。山間部をドライブすると、よくモノトーンの木々を見かけますが、あれは戦後植林したスギです。それについては・・・
「木材資源としての経済的な価値の追求も必要であるが、多様なふるさとの森にかわって高く売れると予測した針葉樹のスギ、マツ、ヒノキ、カラマツを背負うわ0年代から一斉拡大造林し続けた結果はどうであったか。ようやく伐採期に達したときには、外在に価格的に負けて切り出すこともできない。しかもスギは花粉を飛散させて春先に人々を悩ませている、また、マツは増えすぎたことに対する自然の揺り戻しのように、いわゆる松食い虫の被害を受け赤茶けた異様な姿、さらには葉が落ちた白骨状の無残な姿を全国土的にさらしている。」
そして、彼は「ふるさとの森」を再生する行動に出たのでした。
神社仏閣の鎮守の森にとどまらず、新日鐵の工場周囲の森、大手スーパー「イオン」グループの店舗周囲の森造り・・・果ては日本から飛び出し、中国の万里の長城周囲に植樹と、とどまるところを知りません。
非常に興味深く読ませていただいた箇所を抜粋しておきます;
「植物社会では生理的な最適域と生態的な最適域が違う。森林においては、好きな植物が好きなところに自生しているわけではない。ほとんどの植物は本来の生理的な最適域から少しずれた、少し厳しい条件下で、ガマンしながら、嫌なヤツとも共生している。これが最も健全な状態であることを地球上の植物社会は具体的に示している。」
「幼苗を上手に育てるコツは水をやりすぎないこと。やらなければ枯死するが、少し足りないぐらいにする。肥料もやり過ぎない。生物社会ではやや足りない状態が健全である。」
・・・まさに人間社会でも通じることですね。
★ メモ書き ★
【潜在自然植生】
北海道:落葉広葉樹樹林:ミズナラ(低地・丘陵・山麓)~エゾイタヤ・ハリギリ(=センノキ)~ハルニレ・ヤチダモ(少し湿ったところ)~ハンノキ(湿原・川沿い)~カシワ(沿岸)
本州・四国・九州:照葉樹林:タブノキ・ヤブツバキ・シロダモ・シイ
海岸沿いはタブノキ、尾根筋はシイ、内陸部ではシラカシ
西日本では+イチイガシ、内陸部では+カシ類(アラカシ、シラカシ、ツクバネガシなど)
また、別の箇所ではこんな記載も・・・
照葉樹林域;
・高木:シイ、タブノキ、カシ類
・亜高木:シロダモ、ヤブツバキ、モチノキ、ヤマモモ、ネズミモチ、カクレミノなど
・低木:アオキ、ヤツデ、ヒサカキなど
夏緑広葉樹林帯;
・高木:ブナ、ミズナラ、カエデ類
【マツやスギ】本来岩場などの厳しい条件下で自生する樹木。
【カモガヤ】
日本では北海道、あるいは侵襲の高冷地帯の牧場に播種、栽培されている。たしかに非常に好窒息性で、適湿で恵まれた立地では競争力が強い。しかしカモガヤは種を蒔いて2-3年は生長量が高いが、5-6年経てばだんだんと生産量が落ちて、7-8年でもう一度耕してまき直さねばならない。
すなわち植物社会では、競争力の強い植物はしばしば環境の劣化に対して敏感で抵抗力が低い場合が多い。
【カラマツ】
本来フォッサマグナ地域と云われる、せいぜい富士山、八ヶ岳から付近の中部山岳の尾根筋、急斜面、水際など極端な立地に局地的に自生していた。
戦後、そのカラマツを、生育が早いので木材として利用できるという見込みで、日本中の乾きすぎず湿りすぎず土壌条件も安定したブナやミズナラ林を伐採し、時に火入れして、吸収の産地から北海道までほとんど全域に造林した。
現在伐採期に達しているが、価格的に外材に勝てず、深刻な問題になっている。
【北関東の屋敷林】
埼玉・栃木・茨城県などの古い屋敷には、北/西側はシラカシが帯状に植えられている。北風と西日を防ぐためである(西日はカイコの飼育によくなかった)。また、古い集落や家の南/東側には夏の木陰・冬の日差しを求めて落葉広葉樹でやや湿った渓谷や川沿いの斜面に自生するケヤキが屋敷林として大きく聳えているところも多い。その場合でも、シラカシを主にしさらにアラカシ、ウラジロガシ、モチノキ、シロダモ、ヤブツバキ、マサキ、ヒサカキ、サンゴジュなどを高生垣に使っている。
【里山の雑木林】
関東地方の里山の雑木林は、かつては一般に自然林と考えられていた。しかし、実はそこの土地本来の潜在自然植生は常緑のシラカシ林である。クヌギ、コナラの雑木林は、ほぼ20年に1回の感覚で、その林を定期的に薪炭材として伐採することによりできた二次林である。
スギ、ヒノキ、マツ、カラマツなどの針葉樹は、地上部を伐採すると根まで全部枯死してしまうが、広葉樹はよほど老木にならない限り再生能力が強い。雑木林を15~25年感覚で伐採するとその切り株から萌芽する。一本の切り株から数本の芽が出てくる。農家の人たちはこの芽生えをひと株に2~3本残して、あとは切って燃料などに使ってきた。このような森の俚謡が何百年も続いて、再生可能な樹林として持続的に人間と共生してきたのが、いわゆる里山の雑木林である。
【帰化植物 vs 鎮守の森】
セイタカアワダチソウ(=アキノキリンソウ)、ブタクサ、偽アカシアなどの帰化植物は、荒れ地では一気に増えるが鎮守の森には侵入できない。例え入れたとしても育ちにくく、長持ちしないのです。土地本来の森のシステムが機能している限り、外来植物は排除されてしまうのです。
・・・これはヒトの常在菌である腸内細菌叢の機能と同じですね。腸内細菌が元気であれば、病原体が侵入しても排除してくれるのです。病原性大腸菌による食中毒が話題になったとき、ふだんから快便のヒト(=腸内細菌が元気)はお腹の弱いヒト(=腸内細菌バランスがよくない)の比べて軽症で済んだという報告を読んだことがあります。
”鎮守の森” のイメージは、近所の神社のイメージに重なります。
子どもの頃の風景は一変しているけど、神社と鎮守の森だけはずっと同じ姿を保ったまま。
そこは神様が鎮座する聖なる場所です。
著者は植物生態学者で宗教研究家ではありません。
そして、この本の内容も植物生態学から見た ”鎮守の森” となっています。
信仰という要素はほとんどなし(後半の曹洞宗住職との対談では出てきますが)。
彼が定義する ”鎮守の森” とは「ふるさとに木によるふるさとの森」。
これを「潜在自然植生」と呼んでいます。
単純ですが奥深い表現。
「ふるさとの木」とは戦後植林されたスギやヒノキではありません。
その土地の気候・土壌に合った樹木を指します。
私が知っている樹木はせいぜいスギ、ケヤキ、クスノキ、マツ、カヤくらいで、この本の出てくる樹木は名前こそ知っていますが実物のイメージが沸かないものばかり・・・自分って日本の樹木をほとんど知らないことに気づかされて愕然とした次第です。
さて、ドイツ留学から帰国後の彼のキャリアは、それを探すことからはじめました。しかし、日本の現状は・・・
「国土の60%強が樹林で覆われているにもかかわらず、現地調査をすればするほど、自然の森・本物の森が少ないことを知り愕然とした。」
そこで注目したのが ”神社境内にある木々” 。
昔からある森には「ふるさとの木」のヒントが隠されていたのでした。
膨大な調査の後、著者は日本の「ふるさとの木」を探し当てました。
鎮守の森には植生サイクルを大切にしてきた日本人祖先の精神が宿り、防災にも役立つ要素があることも指摘しています。
森の特徴は多様性。高木・亜高木・低木・下草の四層構造で、競争・共生の微妙なバランスの元、生態系を維持しています。山間部をドライブすると、よくモノトーンの木々を見かけますが、あれは戦後植林したスギです。それについては・・・
「木材資源としての経済的な価値の追求も必要であるが、多様なふるさとの森にかわって高く売れると予測した針葉樹のスギ、マツ、ヒノキ、カラマツを背負うわ0年代から一斉拡大造林し続けた結果はどうであったか。ようやく伐採期に達したときには、外在に価格的に負けて切り出すこともできない。しかもスギは花粉を飛散させて春先に人々を悩ませている、また、マツは増えすぎたことに対する自然の揺り戻しのように、いわゆる松食い虫の被害を受け赤茶けた異様な姿、さらには葉が落ちた白骨状の無残な姿を全国土的にさらしている。」
そして、彼は「ふるさとの森」を再生する行動に出たのでした。
神社仏閣の鎮守の森にとどまらず、新日鐵の工場周囲の森、大手スーパー「イオン」グループの店舗周囲の森造り・・・果ては日本から飛び出し、中国の万里の長城周囲に植樹と、とどまるところを知りません。
非常に興味深く読ませていただいた箇所を抜粋しておきます;
「植物社会では生理的な最適域と生態的な最適域が違う。森林においては、好きな植物が好きなところに自生しているわけではない。ほとんどの植物は本来の生理的な最適域から少しずれた、少し厳しい条件下で、ガマンしながら、嫌なヤツとも共生している。これが最も健全な状態であることを地球上の植物社会は具体的に示している。」
「幼苗を上手に育てるコツは水をやりすぎないこと。やらなければ枯死するが、少し足りないぐらいにする。肥料もやり過ぎない。生物社会ではやや足りない状態が健全である。」
・・・まさに人間社会でも通じることですね。
★ メモ書き ★
【潜在自然植生】
北海道:落葉広葉樹樹林:ミズナラ(低地・丘陵・山麓)~エゾイタヤ・ハリギリ(=センノキ)~ハルニレ・ヤチダモ(少し湿ったところ)~ハンノキ(湿原・川沿い)~カシワ(沿岸)
本州・四国・九州:照葉樹林:タブノキ・ヤブツバキ・シロダモ・シイ
海岸沿いはタブノキ、尾根筋はシイ、内陸部ではシラカシ
西日本では+イチイガシ、内陸部では+カシ類(アラカシ、シラカシ、ツクバネガシなど)
また、別の箇所ではこんな記載も・・・
照葉樹林域;
・高木:シイ、タブノキ、カシ類
・亜高木:シロダモ、ヤブツバキ、モチノキ、ヤマモモ、ネズミモチ、カクレミノなど
・低木:アオキ、ヤツデ、ヒサカキなど
夏緑広葉樹林帯;
・高木:ブナ、ミズナラ、カエデ類
【マツやスギ】本来岩場などの厳しい条件下で自生する樹木。
【カモガヤ】
日本では北海道、あるいは侵襲の高冷地帯の牧場に播種、栽培されている。たしかに非常に好窒息性で、適湿で恵まれた立地では競争力が強い。しかしカモガヤは種を蒔いて2-3年は生長量が高いが、5-6年経てばだんだんと生産量が落ちて、7-8年でもう一度耕してまき直さねばならない。
すなわち植物社会では、競争力の強い植物はしばしば環境の劣化に対して敏感で抵抗力が低い場合が多い。
【カラマツ】
本来フォッサマグナ地域と云われる、せいぜい富士山、八ヶ岳から付近の中部山岳の尾根筋、急斜面、水際など極端な立地に局地的に自生していた。
戦後、そのカラマツを、生育が早いので木材として利用できるという見込みで、日本中の乾きすぎず湿りすぎず土壌条件も安定したブナやミズナラ林を伐採し、時に火入れして、吸収の産地から北海道までほとんど全域に造林した。
現在伐採期に達しているが、価格的に外材に勝てず、深刻な問題になっている。
【北関東の屋敷林】
埼玉・栃木・茨城県などの古い屋敷には、北/西側はシラカシが帯状に植えられている。北風と西日を防ぐためである(西日はカイコの飼育によくなかった)。また、古い集落や家の南/東側には夏の木陰・冬の日差しを求めて落葉広葉樹でやや湿った渓谷や川沿いの斜面に自生するケヤキが屋敷林として大きく聳えているところも多い。その場合でも、シラカシを主にしさらにアラカシ、ウラジロガシ、モチノキ、シロダモ、ヤブツバキ、マサキ、ヒサカキ、サンゴジュなどを高生垣に使っている。
【里山の雑木林】
関東地方の里山の雑木林は、かつては一般に自然林と考えられていた。しかし、実はそこの土地本来の潜在自然植生は常緑のシラカシ林である。クヌギ、コナラの雑木林は、ほぼ20年に1回の感覚で、その林を定期的に薪炭材として伐採することによりできた二次林である。
スギ、ヒノキ、マツ、カラマツなどの針葉樹は、地上部を伐採すると根まで全部枯死してしまうが、広葉樹はよほど老木にならない限り再生能力が強い。雑木林を15~25年感覚で伐採するとその切り株から萌芽する。一本の切り株から数本の芽が出てくる。農家の人たちはこの芽生えをひと株に2~3本残して、あとは切って燃料などに使ってきた。このような森の俚謡が何百年も続いて、再生可能な樹林として持続的に人間と共生してきたのが、いわゆる里山の雑木林である。
【帰化植物 vs 鎮守の森】
セイタカアワダチソウ(=アキノキリンソウ)、ブタクサ、偽アカシアなどの帰化植物は、荒れ地では一気に増えるが鎮守の森には侵入できない。例え入れたとしても育ちにくく、長持ちしないのです。土地本来の森のシステムが機能している限り、外来植物は排除されてしまうのです。
・・・これはヒトの常在菌である腸内細菌叢の機能と同じですね。腸内細菌が元気であれば、病原体が侵入しても排除してくれるのです。病原性大腸菌による食中毒が話題になったとき、ふだんから快便のヒト(=腸内細菌が元気)はお腹の弱いヒト(=腸内細菌バランスがよくない)の比べて軽症で済んだという報告を読んだことがあります。