巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

林業の現況(奈良県十津川村)

2018-04-05 14:58:04 | 林業
NNNドキュメント’18「山が動く~日本一広い村・十津川村の挑戦~」(2018.3.25:BS日テレ

 日本の国土の66%が森林で、その41%がスギ・ヒノキなどの人工林だそうです。
 戦後、国の奨励で盛んに植林が行われましたが、それが育って伐採の時期になった頃に外国からの輸入材が安価で入ってきて、国内の木を切っても採算割れで切れなくなってしまい、林業は衰退しました。
 現在でも、林業の収入の3/4が補助金によるという悲しい事実があります。

 人工林は人間が手入れをしないと荒れて災害を引き起こす危険さえあります。
 土砂崩れはスギ林に多いと聞いたことがあります。
 針葉樹は根の張り方が広葉樹より浅いので、土の把持力が弱い。
 根の張り方が少ないと、水分の保持力も少ない。

 村の96%が森林の奈良県十津川村では、林業の再生が試みられています。
 そのポイントは“機械化”。
 ヨーロッパの林業機械を導入し、作業効率を5倍以上に上げ、少人数でも成り立つようになりました。

 日本に「山とともに、樹木とともに暮らす」生活がこれからも続けることができるのか、試練の時です。
 


<番組内容>
 日本一広い村、奈良県十津川村。面積の96パーセントが山林だ。2011年9月の紀伊半島大水害で山が崩れ、13名の死者行方不明者を出した。
 「山を手入れしていれば防げたのではないか」。村を上げて林業再生の取り組みが始まった。立ち上がったのは地元の若者たち。作業効率を上げるために北欧の機械を導入し、ユーザーと直に結び付くシステムを構築した。山を守り、ともに生きる。100年後を見据えた十津川村の挑戦だ。

日本の林業の今

2014-08-03 07:17:55 | 林業
 先月東京でタクシーに乗りました。
 運転手さんと話が弾み、私が「大きな木が好きで神社巡りをしています」と云うと、
 「実は私の父は林業家でした」と運転手さん。

 彼の故郷は栃木県那須市で、彼の父は木材を加工してチップを作っていたそうです。
 しかし外国から安い材木が輸入されるようになり価格競争で敗れ、廃業したとのこと。
 高度成長期・グローバル化した時代の一面です。

 なんだか寂しい思いを抱いてタクシーを降りました。

 ところが後日、NHKおはよう日本で「林業に若者が集まっている」という特集を組んでいるのを偶然見て驚きました。
 その内容は・・・

・日本林業人口は現在5万人で最盛期の1/3程度。
・しかし近年、毎年3000人が新規就労し、とくに林業を志す若者が急増している。
・大型機械の導入が一因。5-6年前から「枝を切り落とす」「同じ長さに揃える」「運び出す」ことができる重機が導入され、女性の林業参入のハードルも低くなった。
・政府が2003年にはじめた「緑の雇用」という助成制度もプラスに働いている。
・田んぼが必要な農業と異なり、身一つではじめることができ、身分は森林組合に所属するサラリーマンである。
・安い輸入材との価格競争に敗れて衰退した日本林業であったが、近年は良質の日本木材が海外(とくに中国・韓国)で人気急増中。


 というもの。

 えっ? 輸出してるの?
 停滞していた日本の林業、これから大きく変わるかもしれません。
 そういえば、林業映画「WOOD JOB!」が話題になっていますね。

スギ植林が日本の森・里山を破壊した。

2009-09-20 22:12:22 | 林業
最近、森に関するTV番組を2つ見る機会がありました。

1.難問解決!ご近所の底力「土砂災害が故郷を襲う」
 長野県諏訪湖周辺の村を数年前の豪雨の際、土石流が襲いました。その原因の一つに「スギ林による地盤の脆弱化」が指摘されました。きちんと「間伐」をすれば問題解決するのですが、所有者の高齢化、間伐費用、間伐材の利用価値などの点でその作業が進みません。しかし地元民は「何とかしなければ・・・」と悩んでいます。その解決法は?
・都会からのボランティアに間伐を手伝ってもらう(高知県の例)
・間伐材で製造した紙(少し割高)を自然保護活動に熱心な企業に購入してもらう(宮城県の例)
 これらのアイディアに賛成した地元の人は両者とも約6割にとどまりました。「女性に間伐ができるのか?」とか「製紙工場までの距離がありすぎる、紙を本当に買ってくれるのか?」とか保守的な不安も覗かせていました。その後話し合いを持ち、最終的には実行に移す方向でまとまったようです。

2.熊本県水上市湯山の里山
 里山を知り尽くす約60歳の幼なじみ3人組の目から見た森の変遷物語。
 3人とは、イノシシ猟師、民宿の親父、イチゴ農家(林業からの転職)。
 夏場の魚取りから始まり、山の幸の見つけ方、プチ焼き畑農業など、里山と共に生きてきた少年のような顔をした実年世代が眩しく見えました。
 100kg超のイノシシを仕留めたときの写真は「もののけ姫」に出てくる大イノシシを連想するほど。
 豊かな里山の自然は、やはりスギの植林で衰えてきたことを実感せざるを得ない内容でした。
 木の実を食料とするイノシシが減る一方では、スギを伐採した後に出てくる木の芽を食料とするシカが増え、人間の数より多くなってしまいました。畑を荒らすので近年「害獣」として駆除対象に指定されてしまいました(シカが悪い?)。

 2つの番組は「スギ植林が森を、里山を破壊した」と共通する問題点を指摘していることに気づきました。

1ではスギ植林後に「間伐」という手入れを怠ったがために、一本一本のスギの木がもやしみたいに細くしかならず、根の張り方も浅く、かつ地表に日光が届かないので下草も生えない・・・ここに大雨が降ると保水するどころか簡単に地滑りを起こし土石流が村を襲うことになる、と。

2でも同じことをコメントしていました。さらにいくつも気になることを指摘しています;
・広葉樹が無くなると木の実が減り、それを食べる森の動物がいなくなる。
・小川の水量が少なくなり、雨が降ると急激に濁流が増加する。近年、小川の水量が増えて濁りが無くなったので不思議に思って水源を見に行ったら、スギ林が伐採された後に自然に広葉樹が根付き、雑草もたくさん生えていた光景を眼にした。これは広葉樹の根が張り、雑草が増えて保水力・濾過機能を高めたためであろう。

無計画な戦後のスギ植林による被害はスギ花粉症の激増だけではありません!
近年、それが悪いと知りながら、私有林が多いため間伐の費用を個人が負担しきれず、やはり日本中のスギ林は野放し状態。
自民党から民主党へ政権交代した今年、この対策がどう変わるのか見物です。

「湯浅 勲」

2009-02-08 08:25:32 | 林業
2009年2月3日、NHK放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀『森に生きる、山に教わる~森林再生人・湯浅勲~』とういうドキュメンタリー番組を見ました。

内容をNHK番組表からコピーします。
「日本の森林の4割を占めるスギやヒノキの人工林が危機に瀕(ひん)している。安い輸入材の影響で手入れもされず放置され、倒木や土砂崩れなど、深刻な被害が続出。そんな中、熱い注目を集める男がいる。湯浅勲(57歳)。京都府日吉町の森林組合を束ねるリーダーだ。荒れていた日吉の人工林の7割を生き生きとした姿に生まれ変わらせ、関係者をあっといわせた。日々、全国各地の森をよみがえらせようと奮闘する湯浅の姿を描く。」

私はアレルギー分野が専門の小児科医を生業としています。
スギ花粉症については自信が患者でもあり「なぜ日本だけでこれほど問題になっているのか?」と以前から疑問を持っていました。
アレルギー疾患の治療の基本は「アレルゲンとの接触を避ける、つまりアレルゲンを生活環境から排除する」ことです。
当然、スギ花粉症では生活環境からスギを排除すれば症状は出ません。
しかし、風に乗って飛んでくる花粉に人間は無力です。
せいぜいマスク、ゴーグル、花粉のつきにくい衣服などで誤魔化すくらい。

「なぜスギ林を伐採しないのですか。」
アレルギー関連学会で花粉症の講演があるたびに演者にしつこく質問した時期がありました。
しかし的を得た回答をいただいた記憶がありません。
皆「スギ林は国有林ではなく私有林なので・・・」ムニャムニャと口を濁します。
「スギがなければヒノキ花粉症が増えただけさ」という妙な反論も受けました。

そこには政治が絡んでいるらしいことが薄々わかってきました。
その方面の書物を読むと戦後の植林政策の失敗により人工林が放置され、それがスギ花粉症の温床になったことが指摘されており、愕然としました。

では今の政策は?
林野庁のHPは(http://www.rinya.maff.go.jp/seisaku/sesakusyoukai/kafun/situmon.html)
とお粗末な内容です。
採算がとれないのにまだスギに固執する理由がわかりません。

本題に戻りますが、この湯浅氏の活動を知り現在の林業が陥っている閉塞状況を解決する光明が見えたような気がしました。
効率化してコストを削減した間伐、林業業者に誇りを持たせる人材育成法。
世界大不況でリストラされた失業者が大発生している今の日本において林業や農業に人を戻して日本を再生することはできないのでしょうか。
食物自給率も上がるだろうし・・・経済的には難しいと思われますがそれを何とかするのが政治ですよね。

山歩きをすると、鬱蒼としたスギ林に出くわします。暗闇に吸い込まれてしまいそうで怖い。
暗いスギ林ではなく、生き物の息吹が感じられる昔の日本の広葉樹林の森に少しずつ戻っていって欲しいと思います。

「湯浅 勲」この名前を忘れません。

私は幼小児期に田んぼを走り回り、川遊びで生き物と接した最後の年代です。
その川が今はコンクリートで固められ濁った水がよどんでいるのを見ると悲しくなります。
カブトムシ、クワガタが捕れる秘密ポイントも年々消えていきます。
未来を担う子どもたちに何が残せるのか、自問自答しながら過ごしていきたいと思いました。