巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

「公園・神社の樹木」

2013-05-06 09:28:29 | 巨樹・巨木
2011年、築地書館発行。
著者:渡辺一夫
副題:樹木の個性と日本の歴史

私は「鎮守の森巡り」を趣味としています。
御神木として大切にされている巨木を見るにつけ、神聖な祈りの空間を感じ、またその生命力に驚嘆します。

今年も5月になり、活動を再開しました。
5月が最適な理由は・・・
・スギ/ヒノキ花粉が飛ばなくなる。
・新緑がキレイ。
・まだ蚊に刺されない。
等々。

ただ、神社の知識はそれなりにあっても、そこにある樹木の知識が乏しくメジャーなもの以外は名前がわかりません。
まあ、わからなくても悪くはないんですけど・・・。
時々「もっと樹木の知識があると見方も変わってくるのかなあ」と感じることもあり、以前購入したこの本を読んでみました。

この本は一般的な樹木関係の解説・啓蒙書ではありません。
東京にある大きな公園や神社の樹木たちの歴史を、植物学者の視点から言及している興味深い内容です。
取りあげられているのは・・・

第一章:新宿御苑
第二章:日比谷公園
第三章:水元公園
第四章:自然教育園
第五章:明治神宮
第六章:井の頭恩賜公園
第七章:大国魂神社
第八章:桜ヶ丘公園

私のレベルに合っているようで、すぐに読み終わりました。

<メモ>
 自分自身のための備忘録。

第一章:新宿御苑・・・眠れなくなったプラタナス
・江戸時代は高遠藩主の内藤氏の江戸屋敷であったが、明治時代になり国の農業試験場となった。その時代に研究のために植えられ、今や巨木に育ったユリノキ、プラタナス、ヒマラヤシーダー、ラクウショウ、アメリカキササゲ、タイサンボクなどの木を見ることができる。
・芝生広場の傍らに30mを越えるユリノキの巨木がある。
・ユリノキは北米大陸東部に広く分布し、樹高が50mにも達する落葉樹で、初夏に咲く花は直径約5cmとかなり大きく、チューリップの花の形をしている。葉の形が半纏(はんてん)に似ているので、別名ハンテンボクとも呼ばれる。ユリノキは生長が速く、樹形が美しい。また耐寒性があり、病害虫にも強いという長所を持っている。このため、ユリノキは全国に広まり街路樹や公園樹としてよく植えられている。
・新宿御苑のユリノキは、明治6年頃に北米から輸入された日本最古のユリノキであり、この木の種から日本中のユリノキが広まった。赤坂の迎賓館前のユリノキ並木と、上野の東京国立博物館の正面玄関前のユリノキも、新宿御苑のユリノキの種から育った苗木が植えられたものである。

・新宿御苑のフランス式整形庭園には、四列のプラタナスの並木がある。
・プラタナスとは「スズカケノキ科スズカケノキ属」というグループの総称であって、西アジアや北アメリカを原産地とする樹木である。新宿御苑のプラタナスは正確には「モミジバスズカケノキ」という種類である。この樹皮は淡い緑色と白のまだら模様であることが特徴。また、その身は直径4cmくらいの球形で、白く長い毛が密生し、枝からぶら下がる姿が可愛らしい。生長が速く、堂々たる大木になる木でもある。
・プラタナスは街路樹としてとてもよく使われる。生長が非常に速いだけでなく、やせ地や乾燥、大気汚染に強く、移植や剪定に対する強さにおいても優れており、街路樹ランキングでもベストテンに入る。しかし生長が速すぎて選定費用がかさみ、近年はその評判に陰りが出はじめている。近年では管理費用が抑えられるケヤキやハナミズキが人気である。
・プラタナスは落葉樹であるが、冬になっても落葉しない木が現れた。その原因は歳の明るさで、24時間営業のコンビニの前にあるプラタナスが落葉しなくなった。落葉樹は堯になり日が短くなってくるとそれを感知して冬に備えて葉を落とす。24時間光を浴び続けているプラタナスは落葉するタイミングがわからなくなってしまったのである。
ヒマラヤシーダーは別名「ヒマラヤスギ」ともいわれるが杉の仲間ではなく松の仲間に属し、大きな松ぼっくりがなる。
・新宿御苑のヒマラヤシーダーのルーツは、明治の初めにインドのカルカッタから横浜を経由してやってきたものだという。昭和に入ってヒマラヤシーダーは公園・学校・官公庁・並木などによく使われるようになったが、昭和30-40年代に関東や関西では大気汚染が原因でかなりの数が枯れてしまった。針葉樹は特に大気汚染に弱い傾向があり、日本の針葉樹でもスギ、マツ類、モミ、ツガなどの木は、大気汚染の影響を受けて衰弱しやすい。
・街路樹の上位はイチョウ、サクラ類、ケヤキ、トウカエデ、プラタナスなど。土地により種類も異なる傾向があり、北海道ではナナカマドやシラカバ、トドマツ、栃木県のトチノキ、和歌山県のウバメガシ、熊本県のクスノキ、沖縄県のリュウキュウマツなど。

第二章:日比谷公園・・・戦争に翻弄されたツツジとハナミズキ
・日比谷公園の敷地は、江戸時代には松平肥前守など諸大名の屋敷であったが、明治に入ってから陸軍の練兵場(日比谷練兵場)として使われていた。
首賭けイチョウの受難:昭和46年の沖縄返還協定批准阻止闘争の際に、集まった暴徒が松本楼に放火し、首賭けイチョウの片側が焼けてしまった。太平洋戦争中には、日比谷公園は航空機を撃墜するための高射砲の陣地となっていた。その際に、高射砲の見通しの邪魔になるという理由で、首賭けイチョウの上部は切られてしまった。首か慶弔だけでなく、松本楼の側の草地広場前のイチョウ並木も、やはり高射砲の邪魔になるという理由で高さ5m位のところで軒並み切られてしまった。今でもこの並木のイチョウは根元は太いが丈夫の幹は細い不思議な樹形をしている。
・防火帯としての樹木:マツは脂分が多いため燃えやすい。葉に水分が多いシイ、カシ、イチョウ、プラタナスは防火能力が高いと考えられてきたが、最近の研究では、シイやカシなど常緑広葉樹は防火機能が高いが、イチョウやプラタナスなどの落葉樹はそれほどでもなく、特に葉を落とす冬には防火能力が低下することが指摘されている。クスノキも脂分を多く含むため、火災時にみずから燃え上がってしまう可能性があり、防火機能が必ずしも高いとは云えない樹木である。
・現在の日比谷公園の地下には非常用の水槽が設置されて水が蓄えられているほか、ヘリポート施設、帰宅難民用の物品などが用意されており、いつか起こる地震に備えている。

第三章:水元公園・・・水郷の歴史を語るエノキ
・水元公園には中央広場の北側に「植生保護区」という柵で囲まれた立ち入り禁止エリアがある。覗いてみると大きなエノキ、タブノキ、ケヤキなどが生えている。そこはかつて日枝神社の境内であり「鎮守の森」があった。公園開設に伴い神社は移設されたが、鎮守の森は植生保護区として保存された。鎮守の森にはスギやマツを植えることが多いが、その土地の気候風土に適した木が生えていたり、あるいは植えられていることがある。植生保護区にみられるエノキ、タブノキ、ケヤキなどはそれに当たる。公園の周辺にある別の神社には、前述の樹木の他にクロマツ、ムクノキなどの大木もみられ、これらの樹種がこの地域の気候に適した木であることがわかる。
・エノキはハンノキほど水分の多い環境に強くないため、湿地と云うよりはやや乾燥した「自然堤防」によく生える。自然堤防とは洪水の時に土砂が堆積してできる、やや乾いた微高地のことで、水元公園のほとんどは自然堤防の上に位置している。エノキは氾濫という自然現象に適応した樹木であり、むしろ繰り返す洪水を利用して生き延びてきたのかもしれない。水辺の木であるメタセコイアは水元公園のシンボルとなっているが、エノキこそが水元の風土を語る代表的な樹木なのである。

第四章:自然教育園・・・江戸の大火と戦ったスダジイ