巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

「植物園はよみがえる~樹木医 塚本こなみの戦略~」

2014-08-15 20:17:22 | 巨樹・巨木
植物園はよみがえる 樹木医・塚本こなみの戦略
2014年5月4日:制作=静岡第一テレビ



<番組説明>
 「はままつフラワーパーク」は1970年に開園した公設の観光植物園。入園者数はピーク時の4割程度に落ち込んだ。運営するのは市の外郭団体で、理事長はこれまで市職員の天下りポストだったが存続の危機に陥り、去年4月公募で理事長に就任したのが浜松市在住の塚本こなみさんだ。女性初の樹木医でフジの第一人者。栃木県のあしかがフラワーパークを年間100万人が訪れる施設に育てたことで知られる。塚本さんが徹底するのは「客目線」と「美しい園づくり」。園内に美しさを凝縮した場所を新たに演出し、任期の3年間で入園者数を10万人増やす計画を立てた。塚本さんの戦略と情熱、そして園や職員が変わっていく姿を追った。


 足利フラワーパークは私の地元で、自転車で10分の距離です。
 そこの園長は塚本こなみさん。
 街中にあった早川農園から大きなフジを運んで話題になった最初の女性樹木医として有名な方です。
 でも、実物にあったことはなく、どんな人物なのか興味を持って拝見しました。

 内容は「はままつフラワーパーク」の再建。
 それを請け負ったのも塚本さんです。
 え? 足利フラワーパーク園長の仕事はどうなるの?
 と素朴な疑問が沸きましたが、彼女が手がけている仕事は他にもたくさんあることを知り、驚かされました。
 基本的に彼女はフリーの樹木医で、造園会社経営と庭園コンサルタントが本職のようです。
 つまり、樹木だけを扱うのではなく、植物園をマネージメントするプロなのですね。
 有名どころでは、平等院の藤棚の管理もしているらしい。

 そんな彼女が再建のキーワードに選んだのは「客目線」「美しい庭造り」の二つ。
 当初ピンと来なかった職員も、彼女の熱意と行動力につられて本気モードへ変わっていくのがよくわかりました。
 客足が遠のく7~9月を無料化して開放し、身近な公園にするとともに、土産物は買わせるとか、したたかな戦略。

 植物園内で倒木事件発生。
 元気のない木に気づかなかった担当樹木医を責める塚本さん。
 「順応できないところに植えられて切られる木がかわいそう」
 「木の越えに心を傾けられないなら木を触る資格はない」
 と厳しい言葉が発せられます。

 植物園はイングリッシュガーデンを導入することにより甦りました。
 そういえば、足利フラワーパークにも同じような雰囲気のバラ園がありますね。

 植物園の内容はさておき、娘さんが「イノシシみたい」と評する、そのエネルギーに脱帽しました。

☆ 番組で出てきた大光寺(静岡県浜松市)の春埜杉(はるのすぎ):樹齢1300年 樹高43m 目通り14m 枝張り31m





行ってみたい見てみたい触ってみたい・・・。

「知床 ヒグマ運命の旅」

2014-08-13 18:05:03 | 
NHKスペシャル「知床 ヒグマ運命の旅
2014.8.3放送



<番組説明>
 北海道・知床で、4年間にわたりヒグマたちを記録し続けた膨大な映像を、詳細な調査に基づいた血縁関係などから紐解く、かつてないリアルなヒグマたちの物語。
 30頭以上が暮らすヒグマ密集地帯、知床・ルシャの渚。特別保護地域に指定されたここは、日本に唯一残されたヒグマの楽園だ。私たちが、生後半年の若いオスの兄弟と、この楽園に君臨していた老齢のオスの“王者”を中心に撮影を始めたのは、2010年秋。その2年後、楽園を悲劇が襲う。夏の海水温の異常な上昇によって食料となるカラフトマスの遡上が遅れたことで、次々とヒグマが餓死していったのだ。生まれたばかりの子グマ、そして母グマ。弱いものから命を落としていった。私たちが追っていたオスの兄弟は、母グマの決死の行動などでかろうじて命をつなぎ、老齢の“王者”も危機を乗り越えた。しかしこの苦難は、3頭のヒグマにとって、運命の旅の始まりに過ぎなかった・・・。
 楽園を旅立たなくてはならない若いオスグマの“掟”、“王者”に忍び寄る政権交代の時。やがて3頭は、それぞれに逃れることのできない過酷な運命を歩んでいく。


 前項の星野道夫さんはクマに襲われて命を落としました。
 なんとなくクマは悪者、恐ろしい動物というイメージがありますが、弱肉強食の世界でクマが生き抜く大変さを丁寧に取材した番組です。

 クマの世界では生まれた子どもがオスとメスでその運命が大きく異なることを知りました。
 メスは地元に残り、成長していずれ子どもを生み育てるサイクルに入ります。
 一方、オスは自立して弱肉強食の世界に旅立つことになります。

 そして、取材対象のクマは二匹ともオスでした。

 2歳になると母は子どもに噛みつき自立を促す姿が映し出されました。
 放り出された子グマ・・・まず、自分で餌を取れなければ生き残れません。
 次に、強くなって自分の居場所を見つけなければ山で生き残れません。
 そこではじかれたクマは、人里に姿を現し餌を探すことになります。
 そして危険と見なされると人間に始末されてしまうのでした。



 取材対象のオスのクマの兄弟は、残念ながら二匹とも成獣になる前に命を落としました。
 生き残るには弱かった。
 逆に言えば、二匹より強いクマが生き伸びて強い遺伝子を繋ぐことになることになります。
 一言で云えば“自然淘汰”。
 シンプルなルールが支配する自然界をあらためて知らされた内容でした。

星野道夫「ALASKA~星のような物語」

2014-08-07 14:10:46 | 
ALASKA 星のような物語
NHK、2006年制作
写真家、星野道夫を扱った番組。



番組内容
アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫。彼の作品の舞台をハイビジョン映像で収め、星野が遺(のこ)した撮影日誌から選んだ言葉で、偉大なる業績をひも解いていく。
詳細
アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫。享年43。彼の残した写真と文章は、今も、人々の心を捉える。星野はいかにして作品をつくっていたか。それを探るために、十か月におよぶアラスカロケを行い、作品の舞台を映像で収めた。クマの親子、カリブーの大群、クジラ、氷河、花、荒野に降る雪、四季折々の大地…。残された文章と日誌から、星野道夫の足跡をひも解いていく(2006年の再放送)








彼の自然を見るまなざしが美しく厳しい映像となって迫ってきます。
そう、美しいだけではなく「生きる営み」を捉えた瞬間が切り取られて感動を呼びます。

印象的だったのは「一番お前に会いたかった」というハイイログマ(Grizzly Bear)。
夏にサケが遡上してくるところを口で捕まえて食べ、冬に備えます。
たくさんサケがいるときは、一番栄養のある頭部分と卵以外は食べないとのこと。
驚きました。
人間が一番おいしく感じる身部分には見向きもしないのです。

(しかし後年、この確信がクマに襲われて命を落とす悲劇の伏線となってしまいました)

それにも増して、研ぎ澄まされた珠玉の言葉の数々が素晴らしい。
以下は、番組ないで紹介されたフレーズ集です;
※ 引用は撮影日誌他、主に「ALASKA~星のような物語」「長い旅の途上」からのようです。


時々、遠くを見ること。
それは現実の中で、悠久なるものとの出会いを与えてくれる。



遠く離れていることが
人と人の心を近づける。

人の心は深くそして不思議なほど浅い。
きっと、その浅さで、人は生きてゆける。



一年に一度、
名残惜しく過ぎゆくものに、
この世で何度めぐり合えるのか。
その回数を数えるほど、
人の一生の短さを
知ることはないのかもしれない。
 (『長い旅の途上』より)



厳しい冬の中に、
ある者は美しさを見る。
暗さではなく、光を見ようとする。
それは希望と言ってもよいだろう。
 (『長い旅の途上』より)



人間のためでも 
誰のためでもなく
それ自身の存在のために自然が息づいている

そしてこの土地が
自分ではなく
このクマに属していることを知る

本当の意味での野生
原始自然というものを
ぼくは見たかった



めぐる季節、
人の一生、
そして大いなる自然の秩序。

ずっと続いてきて
これからも続いていく。
その単純な営みの繰り返しがもつ深遠さ。

人間の生きがいとはいったい何なのだろう。



何も生みだすことのない、
ただ流れてゆく時を、大切にしたい。

あわただしい、
人間の日々の営みと平行して、
もうひとつの時間が流れていることを、
いつも心のどこかで感じていたい。
 (『旅をする木』より)



約束とは 
血の匂いであり、
悲しみという言葉に
置き換えてもよい。
 (『旅をする木』より)



すべてのものに
平等に同じ時が流れている



僕たちが失ってしまった、
生き続けていくための、ひとつの力。
 (『イニュニック[生命]』より)


命は
どこかで
確実に息づいている



人の一生の中で
歳月もまた
雪のように降り積もり
つらい記憶を
うっすらと覆いながら
過ぎ去った昔を懐かしさへと
美しく浄化させていく。
もしそうでなければ
老いてゆくのは
なんと苦しいことだろう。
 (『ノーザンライツ』より)



冬をしっかり
越さないかぎり
春をしっかり
感じることはできない

それは
幸福と不幸のあり方に
どこか似ている



海辺の岩場に座ると
海面は夕暮れの陽光に
キラキラと輝いていた。
その時、ほとんど確信に近い
想像が満ちてきた。

それは遙かな昔
この岩に誰かが座り
こんな風に夕暮れの海を
見ていたに違いない
ということだった。
 (『旅をする木』より)



風の感触は
なぜか
移ろいゆく人の一生の
不確かさをほのめかす。

思いわずらうな
心のままに勧め、と
耳もとでささやくかのように。
 (『イニュニック[生命]』より)


日本の林業の今

2014-08-03 07:17:55 | 林業
 先月東京でタクシーに乗りました。
 運転手さんと話が弾み、私が「大きな木が好きで神社巡りをしています」と云うと、
 「実は私の父は林業家でした」と運転手さん。

 彼の故郷は栃木県那須市で、彼の父は木材を加工してチップを作っていたそうです。
 しかし外国から安い材木が輸入されるようになり価格競争で敗れ、廃業したとのこと。
 高度成長期・グローバル化した時代の一面です。

 なんだか寂しい思いを抱いてタクシーを降りました。

 ところが後日、NHKおはよう日本で「林業に若者が集まっている」という特集を組んでいるのを偶然見て驚きました。
 その内容は・・・

・日本林業人口は現在5万人で最盛期の1/3程度。
・しかし近年、毎年3000人が新規就労し、とくに林業を志す若者が急増している。
・大型機械の導入が一因。5-6年前から「枝を切り落とす」「同じ長さに揃える」「運び出す」ことができる重機が導入され、女性の林業参入のハードルも低くなった。
・政府が2003年にはじめた「緑の雇用」という助成制度もプラスに働いている。
・田んぼが必要な農業と異なり、身一つではじめることができ、身分は森林組合に所属するサラリーマンである。
・安い輸入材との価格競争に敗れて衰退した日本林業であったが、近年は良質の日本木材が海外(とくに中国・韓国)で人気急増中。


 というもの。

 えっ? 輸出してるの?
 停滞していた日本の林業、これから大きく変わるかもしれません。
 そういえば、林業映画「WOOD JOB!」が話題になっていますね。