今日の京都は秋晴れで、青くて綺麗な空だった。
昼の3時頃に町の図書館に、我が家の三番目の怪獣と出かけた。
目当ての本を借りて表に出たら、「うわぁ、綺麗」と三男が歓声を上げた。
それは、図書館の向かいにある、大きなイチョウの木を見つけたからだ。
その小学校は、二十数年前まで私が通ってた学校。
あの頃は小学校の敷地内にイチョウの木は立っていたけど、こんなに大きかった記憶は無い。
何しろ四半世紀以上前に卒業してるから、印象が違うのも仕方ないか。
今では歩道を広げたのに合わせて、イチョウの木は小学校の敷地の外側に立っている。
わが町の対応としては喜べるものだ。
二十年近く前になるが、老人センター近くの道路が拡張されるとき、十本近くあった桜の木が伐採されたことがあった。
愚の骨頂な行為で憤慨した記憶がある。
今なら母親(議員)を通じて掛け合ってるところだ。
先祖代々この町に住むものにとっては、町が開けるのは嬉しい反面、寂しい思いもする。
このまま開発が進めば、日本に緑は無くなるんじゃないかと心配になる。
本当はそうはならないんだけどね。
なにしろ、人口増加はとまるのが目に見えてる。
高齢化社会も我々の世代が死んじゃえばそこで終わってしまう。
21世紀の後半は少子化世代の社会になるから、また、自然が増えてくれるかな。
昼の3時頃に町の図書館に、我が家の三番目の怪獣と出かけた。
目当ての本を借りて表に出たら、「うわぁ、綺麗」と三男が歓声を上げた。
それは、図書館の向かいにある、大きなイチョウの木を見つけたからだ。
その小学校は、二十数年前まで私が通ってた学校。
あの頃は小学校の敷地内にイチョウの木は立っていたけど、こんなに大きかった記憶は無い。
何しろ四半世紀以上前に卒業してるから、印象が違うのも仕方ないか。
今では歩道を広げたのに合わせて、イチョウの木は小学校の敷地の外側に立っている。
わが町の対応としては喜べるものだ。
二十年近く前になるが、老人センター近くの道路が拡張されるとき、十本近くあった桜の木が伐採されたことがあった。
愚の骨頂な行為で憤慨した記憶がある。
今なら母親(議員)を通じて掛け合ってるところだ。
先祖代々この町に住むものにとっては、町が開けるのは嬉しい反面、寂しい思いもする。
このまま開発が進めば、日本に緑は無くなるんじゃないかと心配になる。
本当はそうはならないんだけどね。
なにしろ、人口増加はとまるのが目に見えてる。
高齢化社会も我々の世代が死んじゃえばそこで終わってしまう。
21世紀の後半は少子化世代の社会になるから、また、自然が増えてくれるかな。