最初に報道を見たときは背筋がゾッとした。
写真に移っている車両が、自分がいつも乗っているのと同じだからだ。
京都から大阪の間で乗るから事故現場を通る事はないけど、事故を起こした運転士の運転する列車に、これまでに乗っていた可能性は高い。
昨年100mほどオーバーランした駅は、いつも利用する駅から2つ目だ。
運転士の速度超過が主原因だったら、タイミングと場所が違っていたら、別のカーブで脱線を起こして、自分が乗ってた可能性も考えられる。
しかも、いつも乗るのが2両目だから、本当に背筋が凍る思いである。
事故が起これば一瞬で全てを奪っていく。
こんなにも呆気なく人間は死ぬものなんだと気付かされる。
しかし、事故は一瞬でも悲しみは、残された人の人生が終わるまで続く事になる。
一瞬の事故につながる様々な要因は、実は随分と前から起こっている。
速度超過の電車を自動制御する機械なんかは、何年も前から開発されていつでも設置できたはず。
脱線防止ガードも、半径250m以下の急カーブ対象で通達があったとしても、独自で安全対策を考えるなら、300mくらいのカーブでも設置を検討できたはずだ。
そもそも、運転士の資質の話しも出てるけど、人間に完璧を求める事自体が問題だ。
オーバーランすることもあるだろうし、時刻とおりに運行できない事もある。
飛行機だとオートパイロットでの着陸のほうが上手に着陸できると言われている。
電車ではオーバーランさせない機器なんてすぐに開発できるはずだ。
1秒単位で運行を知らせるほどのプレッシャーをかける必要がどこにあるのか分からない。
速度超過が原因としても、速度超過せざるを得なかった原因の究明も必要に思う。
どこまでいっても、JR西日本が人命よりも経営を優先する限り、本当の意味での安全対策なんて期待できない。
これまでの事故の教訓をこれまでも生かせなかった会社が、今回の事故も教訓に出来るのか、大いに疑問だ。
そうは分かっていても、JRに乗らざるを得ないのも事実である。
JRに限らず、私鉄でも事故が起こってるし、バスでも事故が起こっている。
それでも、やっぱり、多くの人はそれに乗らざるを得ない。
公共交通機関を経営する人には、多くの人の人生を預かっていると認識して欲しいものだ。
写真に移っている車両が、自分がいつも乗っているのと同じだからだ。
京都から大阪の間で乗るから事故現場を通る事はないけど、事故を起こした運転士の運転する列車に、これまでに乗っていた可能性は高い。
昨年100mほどオーバーランした駅は、いつも利用する駅から2つ目だ。
運転士の速度超過が主原因だったら、タイミングと場所が違っていたら、別のカーブで脱線を起こして、自分が乗ってた可能性も考えられる。
しかも、いつも乗るのが2両目だから、本当に背筋が凍る思いである。
事故が起これば一瞬で全てを奪っていく。
こんなにも呆気なく人間は死ぬものなんだと気付かされる。
しかし、事故は一瞬でも悲しみは、残された人の人生が終わるまで続く事になる。
一瞬の事故につながる様々な要因は、実は随分と前から起こっている。
速度超過の電車を自動制御する機械なんかは、何年も前から開発されていつでも設置できたはず。
脱線防止ガードも、半径250m以下の急カーブ対象で通達があったとしても、独自で安全対策を考えるなら、300mくらいのカーブでも設置を検討できたはずだ。
そもそも、運転士の資質の話しも出てるけど、人間に完璧を求める事自体が問題だ。
オーバーランすることもあるだろうし、時刻とおりに運行できない事もある。
飛行機だとオートパイロットでの着陸のほうが上手に着陸できると言われている。
電車ではオーバーランさせない機器なんてすぐに開発できるはずだ。
1秒単位で運行を知らせるほどのプレッシャーをかける必要がどこにあるのか分からない。
速度超過が原因としても、速度超過せざるを得なかった原因の究明も必要に思う。
どこまでいっても、JR西日本が人命よりも経営を優先する限り、本当の意味での安全対策なんて期待できない。
これまでの事故の教訓をこれまでも生かせなかった会社が、今回の事故も教訓に出来るのか、大いに疑問だ。
そうは分かっていても、JRに乗らざるを得ないのも事実である。
JRに限らず、私鉄でも事故が起こってるし、バスでも事故が起こっている。
それでも、やっぱり、多くの人はそれに乗らざるを得ない。
公共交通機関を経営する人には、多くの人の人生を預かっていると認識して欲しいものだ。