脳梗塞には負けられない!

2008年12月26日に脳梗塞を発症。負けずに自転車と写真とBAND活動に熱中しているY.MATのブログ。

幼馴染みとの再会

2012-04-30 23:01:10 | Japan
富士山から千葉県は袖ヶ浦市に向かう。

目指すのは『袖ヶ浦フォレストレースウェイ』。

この日、開催されていたのは【第8回 袖森フェスティバル】。


ファミリー向けの走行会なんて初めての参加。
これだけ全体が見渡せて近づけるサーキットも、楽しめていいなぁ。

色々なクラスがあるようで、様々な車が走っている。

そんな中、幼馴染に再会。
某シンガーのバックバンドもどきを演っていた頃以来だから、20年は会ってないかな。



ANYOKiNGとして名を馳せている彼。
乗るのは『SUBARU IMPREZA WRX STI S206』という限定車と、『LOTUS Exige』の二台。



一本目の走行は S206。





風景ばっかり撮ってるからスピード感のない写真になってるけど、このカテゴリーでのトップタイムで走っている。

二本目は Exige。
実は、家族が少なければ Lotus に乗りたかったので、この車の雄姿が一番見たかった。




Lotus のデザインは、前より後ろから見るのが好き。




こっちの車では気合の入り方が違ってか、ぶっちぎりの1位。
アナウンスでは2位と6秒近く差を付けていた。
一本目では2位との差はコンマ何秒の世界だったから。



お疲れちゃん。
カッコよかった~。

直後に座らせてもらったが、自分には狭すぎる・・・



この正面で、「まさか、買う、なんて言い出さないよね!」と嫁の眼が光った・・・



それはともかく、このイベントは色々なカテゴリーで多くの車が走っていた。

中でもやっぱり、Elise が多く走ってた LOTUSばかりのグループに魅かれた。



Elise のお尻がこんなに揃うなんて、もう、興奮物。




最終コーナーを立ちあがって、あやうくスピン。


Golf ばかりの Golf Cup は8コーナー手前での減速が十分でないのか、多くが左後ろのタイヤが浮いてる。
もう、ここばっかり狙っていて、浮いたタイヤを写しまくり。








中にはワゴンで走っている人もいて、これなら自分のアルファードでもいいか?
でも、8コーナーでコケルか・・・


なかなかに楽しいイベントで、出来れば自分も走りたいと思った。
そして、なにより、小学校からの友人の雄姿を見れてよかった。
感動した。
どういう世界であれ、友人の雄姿を見ると嬉しいし、自分への刺激にもなる。
頑張って前に進もうという気になる。

自分も頑張ろう。

彼の雄姿はここから。
【ANYO TV】袖森フェス8_S206&EXIGE ver.2【車載】

伯父の死と友人の死

2012-03-18 23:02:52 | Japan
今週は色々と、人生を考える週だった。
特に水曜日以降。

水曜日、自分と接点のあった二人が亡くなった。

一人は、嫁さんの方の伯父。
享年85歳。
死因は脳梗塞。
自分が三年前に患った病名だ。

実際は二年近くを、もう高齢の衰弱から来る様々な問題で入院生活を送っていた。
それが月曜日に、最後の最後で脳梗塞としてあらわれて息を引き取った。
年齢的にも大往生と言ってもいいかも知れない。

一度も会った事がないような坊主は呼ばず、家族葬として送らせたもらった。
故人と、そのご家族の大変な闘病生活を、親族はよく知っている。
伯父も、伯母も、我々夫婦のことを気にかけてくれていたことも知っている。
親子ですれ違ってて、ここ数年は会話が少なかったことも知っている。
しかし、最後は全員が、故人を惜しんで、涙で棺の蓋を閉めた。

斎場まで一緒に行き、棺が炉の中に納められ、2時間ちょっとして、お骨あげも一緒にさせて頂いた。
変な表現になるが、すごく真っ白で綺麗なお骨であった。
どこか体の不調があれば、その部分が変色をしたりするらしいが、そんな事もなく、本当に真っ白であった。
それを親族で骨壷に入れていく。

ここまで来ると不思議なもので、伯母さんからも笑顔が見えるようになった。
無事に故人の人生の最後を、おごそかに送ってやることが出来たという、安堵感が我々一同を包んでいた。

伯父は本当に、人生をまっとう出来たんだと、思えることができた。


同じ日の夜、地元の後輩から、泣きながら連絡があった。
数年前に横浜に引っ越した友人が死んだという。
元々は地元の後輩で、同じギター弾きとして、友人でもあった。
自分よりは7歳か8歳ほどの年下だったと思う。

うちの子供達がまだ小学生のころ、彼が横浜に引っ越す前はよく遊び相手になってくれたものだ。

心の病を、彼の母親から遺伝のように受け継いでいた彼は、水曜日に自ら命を絶った。

横浜の実家に帰ってからは病状も落ち着き、ここ数年は自分のBANDを組んで、頻繁にライブ活動を行っていた。
昨年末には、最近はBANDの固定ファンも付いてきて、盛り上がっていると教えてくれていた。

また、今年になってから、自分自身も10年ぶりにライブを行う話をしたら、我が事のように喜んでくれ、当日にはなんとか横浜から駆け付けたい、と言ってくれていた。

死ぬ三日前の日曜日には、震災復興ライブにも参加していたようで、その夜に、元気そうにBLOGを更新をしていたのも知っている。
結婚もして、子供がまだ幼稚園にも行っていないのを知っている。

なのに彼は、自分の手で、自分の人生を終わらせてしまった。

自分のことを良く慕ってくれて、人生の悩みも語っていてくれた彼。
遠く離れたからと言って、縁を切らず、連絡をくれていた彼。

同じ水曜日が命日であったが、彼の葬儀はこの週末であった。
自分は予定があって参列できなかったが、後輩の数人は京都から駆け付けて参列したようだ。

しかし、自分は予定を、本当にキャンセルできなかったのか、と言えば何とか出来た可能性もある。

では、何故、参列しなかったのだろうか。

参列をして見送ってやりたい、と切に思ったのは事実だ。
しかし、先輩として、友人として、彼が死を決意するまでに、何の力になってやれなかった自分が参列するのが怖かったのも事実だ。

本当に、自分は無力なんだと感じる。
自分の無力さを、自分で罵りたくなる。


いや、まだ、まだ、今の自分では無力なんだと思う。

もっと、人間として成長が必要なんだ、とも思う。

どんな事も受け止めることができて、自分と縁のある多くの人々が、前向きで頑張る気になるような、そんな影響を与えられるような人間に成長したいと、切に願う。

加茂船屋雛まつり

2012-03-03 23:59:30 | Japan
今日は隣町で行われている『加茂船屋雛まつり』に行ってきました。
もう7年もやってるそうだが、山一つ挟むとなかなか情報は来ないのか、Facebook's Friendの先日の投稿で知ったくらいで。

『加茂船屋雛まつり』は何かと言うと、古い雛人形や昭和レトロなもの、中には江戸時代の将棋とか、そういったものを、木津川市加茂町船屋という地域で商店や民家で展示するもの。
加茂町は聖武天皇の時代から存在していた古い町。
さすがにそんな時代のものは国宝級やけど、それでも年代物が多く見ることができた。
開催期間は 3/1~3/5 との事だが、晴れるのは今日くらいということで、自分と同じように他から来てる人が多かった。
しかも、カメラをぶら下げたのも同じだったり~。

いつも、こういうスナップになると微妙に手ぶれたり(補正がついてるのに)するので、今回の課題はジャストな画にすること。

それはそれとして、自分も男兄弟だけやし、うちの子供たちも男しか居ないから、あまり雛祭りや雛人形には接してこなかったので、こんなにたっぷり、じっくりと見るのは初めてだ。
しかも、人形自体をこんなに沢山、じっくりと見るのも初めてだと思う。
男の子時代は、いわゆる「ソフビ人形」で、ウルトラマンと怪獣で闘うだけで、じっくり見るなんてしないしねぇ。

そんな感じでじっくり見だすと、色々と表情も違うし、魂が宿ってるんじゃないかと思ってしまうのがあったりで、楽しい経験ができた。

一番古いんじゃないかなぁ? と思うのが、約150年前くらいの雛人形。

これは女雛のほうだが、眼が怪しいのが気に入った。

これは大正時代のもの。

時代的に、こんなのは豪商ではないけど、飾る余裕はあるくらいの身分?の家の物なのかな?
でも、一体一体が雰囲気が出ています。
この展示されてたとこでは、昭和レトロというか、近代日本レトロなものであふれてました。


昭和初期のも何点かありました。

これらは昭和10年のもの。

こっちは昭和14年の物。

ここの雛人形たちは、お内裏様から官女、仕丁まで同じ大きさで、同じ顔だった。

こっちは昭和30年の物。

昭和10年のもだけど、これも館付き。

古いものだけではなくて、木津のアーティストの作品も展示されていた。

福田藍さんの作品だが、ここは古い鍛冶屋さんで展示されていたので、福田さんには申し訳ないが、壁の鍛冶屋時代の道具の方が気になった・・・

いや、でも、味のある作品でしたよ。

他にも変わり種もありました。

これは本当に最近のなんでしょうね。アニメ顔なかんじです。


これらは、人形に焼かれてるんですよ。

木彫りもありました。

真上から見ると背中が垂直ですけど、それがまた味です。

他には、国宝の彦根屏風を、その家のお婆ちゃんが手作りした人形も展示されてました。

かなりの大作です。

知らんカメラ爺さん二人と盛り上がったのが、戦後から高度成長あたりの音響機器たち。

音が鳴るかはわかりませんが、まぁ、なっても音質は期待できませんが、見るのはいいもんです。

古いのを色々見て「懐かしいなぁ~」なんて思ったりするけど、実際は自分はそんな時代には生まれてないのにね、不思議だ。

去年の11月にあった「木津川アート」もそうだし、こういう「新たな形の町おこし」かな?
生まれてからずーっと木津に住んでるけど、文化的なものが起こってた記憶はないから、これからの、こういう分野の発展が楽しみかも。
何か力にでもなれたらなぁ、とも思う今日この頃。

加茂船屋雛まつり

メモ:20代にしておくべきこと

2011-12-14 19:23:02 | Japan
もうとっくに20代は過ぎてますが、今からでも頑張ろうと、改めて思った記事でした。
現日本ユニシス特別顧問の島田精一さんが語ったこと。
【「目標」現実に合わせて作り直していい】
20代で多くの人がぶつかるのが、仕事に対する理想と現実のギャップです。特に「目標」を立ててそれが達成できない時、「自分には向いていない」「才能がない」と、簡単に諦めたりしてしまう人がいるが、これはもったいないこと。「目標」は現実の仕事との格闘の中でしか見つからないし、そもそも「目標」は現実に合わせていくらでもつくり直していけばいいのです。まして今は、世の中が大きく激動していく時代。人々が求めるものは刻一刻と、また数年単位で次々と変わる。
 新しい社会の変化に対応するには、自ら自己変革を続け、「目標」を進化させ、常に実力を磨かなくてはいけない。「CHANGE」の「G」を「C」に代えれば「CHANCE」。激動の時代の今こそ、若い人が成長するチャンスです。
 
【結果を出すには「行動」の効率化より「最大化」】
ビジネスでは全て結果が問われます。私のイタリア時代、営業のために車で10万㌔走ったと言っても、何の自慢話にもなりません。商談が成立したのは運かもしれません。しかし、10万㌔を走らなければ運を味方にすることはできなかった。チャンスをものにするには、行動を最大化しておくことが前提になると思います。
 もちろん、行動を効率化することも大切と言えます。しかし、「これは無駄だ」と効率ばかりを気にしている人に限って、行動量が伴わずに結果が出せないということをよく見てきました。
 特に20代のころは、何度、失敗してもいい。失敗を恐れずに、自分が心から満足できるだけの行動を起こして、チャンスをものにする体験を積んでほしい。それによって大きく人生が変わります。

【「時間」の使い方が勝負。優先順位を明確に 】
 ビジネスパーソンは「時間」との闘い。同じ限られた時間の中でどれだけの仕事ができるかが勝負です。それに勝つには、やるべきことの中に優先順位をつけて、常に何から始めるのかを攻めの姿勢で考えていく。逆に順序を曖昧にして受け身でやっていると、結果的に終わらないことが多くなる。
 私は毎朝、出勤途中、その日やるべきことをメモに1枚ずつ書いて、優先順に束ねてポケッnトに忍ばせておく。終わったものから紙を捨て、途中でやろうと思ったことも必ずメモにして追加する。これを日課にしてきました。また夜は「寝る前10分のひとり反省会」を続けてきました。短時間でもその日に何をしたかを振り返る中で、次の日がより充実したものになる。一日一日を価値的に過ごすことが大切です。

【分からないことを「勉強」し続ける人が一流】
 20代の時、先輩から言われました。「会社がつぶれても、生きていけるだけの能力を持たなければだめだよ」。以来、この言葉が頭のどこかにあって、勉強を続けることができたと思います。
 ビジネスパーソンは一生勉強ですが、分からないことがあれば、頭を下げてでも人に教えを請うたり、本を読んでいくこと。それを積み重ねて、人は一流になる。かつてIT業界第一人者のビル・ゲイツ氏と食事した時も、私は質問に終始。「わからない。もう一度説明して」と繰り返すから、困っていたと思う(笑い)。
 しかし、知ったかぶりはいつかバレるもので、かえって相手の信用を失うし、結局、自分の成長を最大に阻害する要因となる。特に20代の方なら、分からないことが当たり前なのだから、何でも教えてもらう姿勢が重要です。

高見山(三重県松阪市、奈良県吉野郡東吉野村)

2011-10-16 23:35:10 | Japan
最近山登り(もどき)を始めてますが、目的は夜に星空を撮影することができるような頂上を見つけるためです。
今回狙ったのは、奈良県吉野郡東吉野村と三重県松阪市の県境にある高見山です。
高見山の途中で高見峠という場所があり、そこまでは車で登ることができて、駐車スペースも整っているとのこと。
調べる限りでは夜間でも登りやすく、頂上は開けてるようです。

ということで喜び勇んで向かいましたが、とんでもないことになってました。

国道166号で奈良県側から旧道に入ろうと思ったが入口には通行止めの文字。
仕方なく三重県側の旧道から登ることに。

"http://www.youtube.com/embed/nCjEmyBiW-k?hl=ja&fs=1

しかし、こちらも途中で通行止め。
仕方なく徒歩で進むことに。

進むこと10分、瓦礫なんかが道路に散らばっていて、この程度で通行止めかとおもっていたら、道路が無くなってました。

http://www.youtube.com/embed/_9IMgvzQ2Cg?hl=ja&fs=1

そら、こんなのが起こっているようでは車は入れません。
というか、登山者も無理でしょう。

と思っていると、なにやらロープが、崩落現場の、崩落していない上側の斜面に貼られてます。
まさか、と思ったけど、やっぱりそうです。
この崩落の真上を、滑り落ちないようにしながら乗り越えていくんですね。
にわか登山家ですが、仕方なく乗り越えていきましたよ。

http://www.youtube.com/embed/IVZdabtnVjg?hl=ja&fs=1

その後も上からの土砂が道を塞いでいて乗り越えたり、地滑り記録機が設置されていて地滑り待ちの場所もありました。
そんなこんなで高見峠の登山口に到着した頃には疲れ果ててました。
これではなかなか、本物の登山家にはなれませんね。

実際にここから登り始めましたが、中間地点の休憩所にであまりにも疲れたので下山しました。
よく考えれば、帰りも数々の瓦礫と崩落個所を乗り越えないといけないんですよね。
それを思い出して気力も下落く・・・

なにはともあれ、無事に帰れたのでよしとしますが、そもそも本来は夜間でも登れる場所探しなので、こんな崩落現場を夜中に越えるのは無理やろ!
と自己完結した次第で。

老北京味噌かけそば

2010-05-21 00:19:53 | Japan
今夜はホテルの並びの【雲隆】で晩飯。
いつもの台湾ラーメンはやめて、今日は『老北京味噌かけそば』を食した。

メニューに、これだけに『オススメ』と書いてあるのが気になっていたんやけど、ようやく注文。

麺の上に肉味噌とキュウリにネギが乗っているだけのシンプルなもの。

細めな麺に余り甘くない肉味噌がからんで、美味です。
なかなか、やってくれます。

通天閣近くの中国料理店

2010-05-18 23:25:37 | Japan

今日は餃子な気分の日でした。

いつもより早い時間に会社を出たので、ブログなんかで安いのに本格的な中国料理を出すとかかれている店に行くことに。
しかし、頼んだのは[台湾ラーメン]と[餃子]。
しかも餃子は二人前。

台湾ラーメンは少し前に書いた、『雲隆』と食べ比べ。
出てきたのかかなり期待できそう。
最初にスープを一口、結構辛口。
面はタコ糸くらい、かなりのモヤシも細め。
やけど、雲隆の勝利ですね。
780円もするけど、380円の店の方が好みです。

しかし、餃子はかなり美味!
雲隆と比べても、王将と比べても福星楼の圧勝です。
王将に比べたら小ぶりやけど、かなりジューシー。
これで大きければ小籠包になっててしまう。
それくらいジューシーで美味な餃子でした。
テーブルには醤油と酢も置いてあるけど、一緒に出てきた餃子のタレが少し甘くて、それがまた美味い!
台湾ラーメンのマイナスを補って余りある感じです。

さて、次に行く時は本格的と書かれている中国料理を食べることにしよう。

中国料理『福星楼』
大阪市浪速区恵美須西1-2-4
地下鉄「恵美須」駅
阪堺電軌阪堺線「恵美須町」駅

大阪市西成区 台湾ラーメン「雲隆」

2010-05-12 01:32:56 | Japan
定宿の木賃宿もどきホテルの並びにある台湾ラーメン店がお気に入りです。
が、23時までしか開いてないんで、なかなか行く時間がとれません。
そら、連日の最終電車帰りですから・・・

それはともかく、今日は23時までに店に入れました。
そしてもちろん、注文するのは『台湾ラーメン(辛口)』に決まってます。
これが一押しです。
いわゆる、あっさり激辛系の味です。
わかるかなぁ?

地元の京都南部には台湾ラーメンで行列のできる店がありますが、こっちのほうが好みです。
ここに来始めてから地元の店には行かなくなりました。

この店で接待してくれる、日本語のたどたどしいところが魅力的な若奥さんも綺麗です。

中華料理『雲隆』
大阪市西成区太子1-2-27
地下鉄「動物園前」駅2番出口右側


現場復帰から半年

2010-04-27 01:22:21 | Japan
脳梗塞から蘇り、職場に本格復帰してから半年経ちました。
いやぁ、早いもんです。
最初はどれぐらい現場について行けるかと心配でしたが、最初からトップギアで仕事。
最初から一カ月200時間超えでした。
やっぱり、IT業界です。
不況で単価は安くなっても、仕事の忙しさは変わらず。

半年の平均で220時間/月。

病気になる前より働いてるんちゃうやろうか・・・

連日の新世界

2009-10-20 00:33:51 | Japan
今月から仕事復帰していますが、やはりIT業界です。
普通に9時-5時はあり得ません。
初日からホテル着が23時です。
早くて20時半に仕事を上がるくらいで、平均22時です。
もちろん、23時終了もありますよ。

それにしても、通勤時間が短いのは非常に楽です。
なにしろ、事務所からホテルの部屋まで30分で到着しますから。
自宅まで帰るのに2時間近くかかるのを考えたら、天国ですね。
でも、大阪市内には住みたくないですが、週末だけ田舎に帰るのが丁度いい感じです。
夫婦仲もそんなもんですね。

しかし、これだけ忙しくなると薬を飲むのを忘れることがあります。
困ったもんです。

仕事に復帰

2009-10-03 02:37:00 | Japan
今月から仕事に復帰しています。
4月以来なので、半年振りですね。
長~い休暇でした。

3月に退院してから4月には仕事を再開したけど、体力が付いていかず、やむなく休業をしました。
なにしろ、隔日でしか仕事を出来なかったので。

動かなかった左半身も回復してきていて、電車も大丈夫で、PCでの作業も問題なかったんですが、体力がなかったんですね。
事務所に着いたら「は~・・・」とため息から始まってたくらい・・・

契約も4月で終わる(自営業なので)ことから、思い切って夏の間は体力作りをすることにして、自転車にハマっていたわけです。

そんなわけで、9月から営業を再開。
サラリーマンではないので、これまでの取引先を中心に営業を再開。
そんな中、数年前のプロジェクトで御一緒していた方から仕事が入りました。
そして、今月から ReStart という事です。

身体の事を気を使わないといけないんですが、それが出来ないのがこの業界ですね。
1日2日と、ともに21時まで仕事をしていました。

京都の田舎から大阪まで、1時間半もかかる通勤時間をどうするかが問題で、仕事よりそれで体力とやる気が萎えてくる。
てことで1日は大阪で泊まることに。

最初はワンルームでも借りようかと検討したけど、結局は割高になるので、激安ホテルに泊まった。
なにしろ、一泊 \1500- の値段。
風呂・トイレが共同でしかないけど、夜に寝るだけで、男性でもあるので全く問題なし。
嫁と親は反対していましたが、んなもん聞いてられませんから。

そのホテルは西成にありますが、路上には段ボールもひかず、直寝の人がちらほら。
流石です。

来週も\1500-で平日を過ごすことでしょう。
一か月経ったら、通勤定期代より安くなるからねぇ。
経費節約です。

実際、今年の売り上げは酷いもんですが、健康になったのは何物にも代えられないですから。

木津小学校前

2007-11-25 22:00:39 | Japan
もう一枚は、母校前にある銀杏の木。
通ってた頃はもっと細かったのに。
って書いてて思い出したけど、二年前にも同じ事を書いてたな。
その間、ここも放置状態やったから仕方ないか。

あんまり日にちは代わらないのに、今年の方が葉が少ない・・・