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山陽百貨店前を北上して、西二階町に行く前の通りを左折するとそこは姫路を代表する歓楽街の「魚町」があります。ワタシも姫路に勤めていた頃はよく繰り出しては”しくじり”をやって周りに迷惑を掛けまくったもんでした。(遠い目)若気の至りとはいえ、あのときはゴメンナサイ。
さて、この通りの一角に「長壁神社」というのが祭られています。この神社、実は姫路に3カ所あって、もともと姫路城内にあったのを風流大名・榊原政岑が御神璽を竪町に遷そうとします。寛保2年の夏至の日に「遷座祭(せんざまつり)」を行ったのが現在まで続く「姫路ゆかた祭り」の起源となっています。なんで”ゆかた”なのかというと、「遷座祭」実施の際、担当の奉行から「お城のしきたりに沿う裃(かみしも)もないし、馬もないので梅雨明けの神事で祭りには欠かせない走り馬もできません」と町衆が困っていると報告を受け、政岑は「それなら、裃がなくてもゆかたでよいではないか。走り馬は他の方策を考えればよい」と指示。裃の代わりに「ゆかた」、走り馬の代わりに「回り灯籠」を使って行われることになったそうです。この祭り、屋台の出店数が西日本一多いのでも知られています。
また、この「ゆかた祭り」の起源については色っぽい異説もあって、それは江戸・吉原の高尾太夫を落籍した政岑が、江戸の神田明神祭りを懐かしむ高尾の話を聞き、姫路で同じような祭りをして慰めようと自らゆかた姿で高尾と浮かれ出たのが始まり。というもの。ホントならこの殿様、なかなか粋ですねぇ。
さて、この通りの一角に「長壁神社」というのが祭られています。この神社、実は姫路に3カ所あって、もともと姫路城内にあったのを風流大名・榊原政岑が御神璽を竪町に遷そうとします。寛保2年の夏至の日に「遷座祭(せんざまつり)」を行ったのが現在まで続く「姫路ゆかた祭り」の起源となっています。なんで”ゆかた”なのかというと、「遷座祭」実施の際、担当の奉行から「お城のしきたりに沿う裃(かみしも)もないし、馬もないので梅雨明けの神事で祭りには欠かせない走り馬もできません」と町衆が困っていると報告を受け、政岑は「それなら、裃がなくてもゆかたでよいではないか。走り馬は他の方策を考えればよい」と指示。裃の代わりに「ゆかた」、走り馬の代わりに「回り灯籠」を使って行われることになったそうです。この祭り、屋台の出店数が西日本一多いのでも知られています。
また、この「ゆかた祭り」の起源については色っぽい異説もあって、それは江戸・吉原の高尾太夫を落籍した政岑が、江戸の神田明神祭りを懐かしむ高尾の話を聞き、姫路で同じような祭りをして慰めようと自らゆかた姿で高尾と浮かれ出たのが始まり。というもの。ホントならこの殿様、なかなか粋ですねぇ。
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