Strawberry Time/松田聖子
先日、松田 聖子 さんの「マイ・ベスト」曲である『天使のウインク』を紹介した。
尾崎 亜美 さんが、松田 聖子 さんに贈った曲で評価が高い曲としては『ボーイの季節』が挙げられよう。しかし、私には、残念ながら『天使のウインク』程のインパクトはない。
まぁ、『天使のウインク』は、私が高校受験の真っただ中にヒットした曲だから、印象に残りやすいという側面はあるのだろうが…。
今回紹介するのは、1987年4月27日にリリースされた、神田 沙也加さん(ブログは、こちら)を産んだ産休後の復活第1号となった『Strawberry Time』。
この時、私は高校3年生。
健康に何の問題がなければ、6月上旬の、現役最後のステージ演技『臙脂の集い』に向け、モチベーションを上げる時期であった。
しかし、4月2日(だったと思う)。
それまでなんとなく痛かった左膝を、越谷市内ではそこそこ名医がいることで名高い整形外科医に診せたところ、一旦は「半月板損傷」と診断を受けたが、帰宅してすぐに呼び戻され、病状が「深刻」であることを告げられた。
そのまま紹介状を認めて頂き、癌研究会付属病院(現在の癌研有明病院)に両親と向かった。検査の結果は、やはり深刻で、4月8日に入院する様にと告げられた。
数々の検査の結果、4月14日に「左大腿骨巨細胞腫」(良性)と診断され、翌週の20日に腫瘍の摘出(正確には、「掻爬(そうは)」と言います)と骨盤からの骨移植術が施され、リハビリを開始するその時にリリースされたのがこの曲だった。
松田 聖子 さんも「Restart」なら、私もそうだった。
だから、インパクトも大きかったし、素直に良い曲だと思った。
今でも時々聴くが、その時の事を時々思い出す。
私が退院したのが、5月5日。そして復学したのが、そのおよそ25日後の5月30日頃。
『臙脂の集い』のステージには間に合わなかったけれど、「GFF」という後夜祭には、現役幹部として「最後」を迎えることができた。
(その辺は、まだ当分先ではあるけれど『応援団に捧げた青春』シリーズで…。)
色々な「思い」が詰まっているけれど、松田 聖子 さんの曲では2番目に好きな曲である。
先日、松田 聖子 さんの「マイ・ベスト」曲である『天使のウインク』を紹介した。
尾崎 亜美 さんが、松田 聖子 さんに贈った曲で評価が高い曲としては『ボーイの季節』が挙げられよう。しかし、私には、残念ながら『天使のウインク』程のインパクトはない。
まぁ、『天使のウインク』は、私が高校受験の真っただ中にヒットした曲だから、印象に残りやすいという側面はあるのだろうが…。
今回紹介するのは、1987年4月27日にリリースされた、神田 沙也加さん(ブログは、こちら)を産んだ産休後の復活第1号となった『Strawberry Time』。
この時、私は高校3年生。
健康に何の問題がなければ、6月上旬の、現役最後のステージ演技『臙脂の集い』に向け、モチベーションを上げる時期であった。
しかし、4月2日(だったと思う)。
それまでなんとなく痛かった左膝を、越谷市内ではそこそこ名医がいることで名高い整形外科医に診せたところ、一旦は「半月板損傷」と診断を受けたが、帰宅してすぐに呼び戻され、病状が「深刻」であることを告げられた。
そのまま紹介状を認めて頂き、癌研究会付属病院(現在の癌研有明病院)に両親と向かった。検査の結果は、やはり深刻で、4月8日に入院する様にと告げられた。
数々の検査の結果、4月14日に「左大腿骨巨細胞腫」(良性)と診断され、翌週の20日に腫瘍の摘出(正確には、「掻爬(そうは)」と言います)と骨盤からの骨移植術が施され、リハビリを開始するその時にリリースされたのがこの曲だった。
松田 聖子 さんも「Restart」なら、私もそうだった。
だから、インパクトも大きかったし、素直に良い曲だと思った。
今でも時々聴くが、その時の事を時々思い出す。
私が退院したのが、5月5日。そして復学したのが、そのおよそ25日後の5月30日頃。
『臙脂の集い』のステージには間に合わなかったけれど、「GFF」という後夜祭には、現役幹部として「最後」を迎えることができた。
(その辺は、まだ当分先ではあるけれど『応援団に捧げた青春』シリーズで…。)
色々な「思い」が詰まっているけれど、松田 聖子 さんの曲では2番目に好きな曲である。