Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/愛知県散策 前編

2022-03-14 23:05:25 | 旅行

2022年の記録

 

 

まん延防止等重点措置実施期間中ではあったが、宿泊施設のポイント失効が迫っていたので、こっそり愛知県を散策した時の記録。

 

 

最初は、金曜日の夜に名古屋に入り、朝一番で名古屋、半田、岡崎と東進して、静岡県清水まで行き帰宅する計画だった。しかし、金曜日に警報級の悪天候(降雪)となったので、翌朝・土曜日の始発で名古屋に入り、予定のルートをたどって静岡に宿泊し、翌日曜日の朝、清水教会を訪問して帰宅した。

 

 

名古屋は初めてではないが、まったく土地勘がない。グーグル先生を頼りに地下鉄と徒歩で散策した。

 

 

地下鉄名城線市役所駅で下車して、旧名古屋控訴院に向かう途中に目に飛び込んできたのが、名古屋市役所本庁舎。その隣には、負けじと愛知県庁舎が鎮座している。

名古屋市役所本庁舎は、1933年(昭和8年) 竣工、地上5階地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート造である。政令指定都市の中では1927年竣工の京都市役所に次いで2番目に歴史の長い庁舎である。

一方の愛知県庁舎は、1938年(昭和13年)竣工、地上6階、地下1階、塔屋1階で、上部にはお城のような屋根がついた帝冠様式の鉄骨鉄筋コンクリート造である。2014年(平成26年)に国の重要文化財に指定された。

愛知県知事の大村氏と名古屋市長の河村氏、2人の発言を聴けば、犬猿の仲なことは一目瞭然だが、犬猿なのは、大村氏、河村氏個人の問題なのか、そもそも愛知県知事と名古屋市長は、そういった関係なのかは知らないが、両庁舎を見ていると、張りあっているように見えてしまうのは、感情移入の度がすぎているのか?

 

 

旧名古屋控訴院は、1922年(大正11年)竣工の赤い煉瓦と白い花崗岩の外壁の煉瓦・鉄筋コンクリート造のネオ・バロック様式を基調とする3階建て洋風官庁建築である。戦前に建築された8か所の控訴院(現在の高等裁判所)のうち、現存する最古の庁舎で、1984年(昭和59年)に国の重要文化財に指定された。現在は、名古屋市市政資料館として保存、使用されている。

 

 

旧名古屋控訴院の道路の反対側には、昭和レトロのトタン壁の司法事務所が連なっている。大半は、移転、閉店しているが、何軒か営業を続けている事務所もあるようだ。

 

 

旧名古屋控訴院から500mほど歩き、高速道路をくぐるとカトリック主税町教会がある。

木造平屋建て、桟瓦葺きの聖堂は、正面玄関ポーチが白漆喰で仕上げられた三連のアーチで構成された特徴的な外見を持ち、1904年(明治37年)に竣工された。1980年(昭和60年)に老朽化に対する大修復が行なわれ、2003年(平成15年)にはそれまで畳敷きであった内部がフローリング化された。

聖堂内を案内して頂いた神父様の住む司祭館は、1930年(昭和5年)に司教館として建てられたもので、木造2階建て、桟瓦葺き、下見板張りの外観を持つ洋風建築である。

司祭館に隣接する信者会館は、明治時代に建てられた木造2階建て、瓦葺き、下見板張りの洋館である。

 

カトリック主税町教会から布池カトリック教会へ移動する途中に発見した昭和レトロな三軒長屋。かつては、どこにでもあった長屋だが、近いうちに見られなくなるだろう。日本の高度成長を支えた勤勉な労働者の慎ましい生活が思い出される。

 

 

目の覚めるような白亜の美しい聖堂は、布池カトリック教会である。

1962年(昭和37年)竣工の大聖堂は、四方をステンドグラス(ドイツ製、イタリア製)に囲まれるゴシック様式鉄骨鉄筋コンクリート構造、聖堂内部3階建て、50メートルの高さを持つ2本の尖塔(内部5階)を持つ。収容人員700名の大聖堂である。2015年(平成27年)に国の登録有形文化財に登録された。

カトリック布池教会から地下鉄東山線新栄駅まで歩き、地下鉄で名古屋駅に戻り、名鉄で半田方面へ移動する。

 

 

【メモ】

プーチン大統領の目論見の通りになれば、北京のプーさんも「中華民族の偉大な復興」へ踏みだすだろう。つまり、対岸にある島のアメリカ帝国主義からの解放に着手するということ。(隠語ばかりで、意味不明?) 米軍が動けば、米軍基地のある日本も標的になる。ロシアのウクライナ侵攻は、日本にとって、遠いい国の惨事ではない。

一方、プーチン大統領の立場になって考えれば、今さら後戻りはできない。「ごめんなさい、お騒がせしました。」と謝っても、世界は彼を許さないだろう。彼にとっては、唯一の防御は、攻撃しかない。

ウクライナ侵攻は、プーチン帝国の終わりの始まりなのかもしれない。

 

 

旅は続く