Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/蓋州 第1回

2022-04-04 23:29:33 | 旅行

2005年の記録

 

 

瀋陽に約1週間滞在したあと、再委託(下請)先企業のある蓋州に行くことになった。蓋州がどんな街かも分からず、不思議と何の不安も、先入観もなしに3人 (僕と健さん=ニックネーム・日本人指導員、お父さん=ニックネーム・朝鮮族通訳) が赴任した。

 

 

蓋州(Gaizhou)市は、営口市管轄の県級市で、瀋陽と大連の中間に位置する。遼寧省1番と2番の都市の間にあるため、高速道路が通じていて、「田舎の割には便利」ということになる。

 

 

蓋州の市街地は、そんなに広くなく、僕の滞在していたホテルは、ほぼ中心部にあったので、徒歩半径1時間圏内にすっぽり収まる。つまり、1時間ほどあれば、往路徒歩、復路輪タクで散策に出かけられる。

 

 

営口の取引先にトラックで行く途中に見つけた露店のならぶ商店街、僕はググッと感じるものがあった。翌朝、出勤前に辺りをつけて早速行ってみた。田舎町の舗装が剥がれデコボコの路面、地べたに商品をならべる露天商と道いっぱいにあふれる買い物客。思わず、ウォ~と呟いた記憶が蘇る。

 

 

朝市では、肉、魚、野菜、果物、パン、饅頭といった食材から衣料品、雑貨・・・・・まで売られている。もちろん、軽食を食べさせる露店もある。商品は、板台やリヤカーの荷台、籠にならべられたものもあるが、地べたにシートを敷いてならべている店もある。

中国では、パジャマのまま朝市に来る人も珍しくないが、ジャージ、スウェット増えてきた。

 

 

【回想録】

中国側の実務者たちは、僕ら日本人が、再委託先に行き、「あ~でもない、こ~でもない」と注文をつけられるのは面倒なことになる。ゆえに再委託先には、あまり行って欲しくないのが本音だったので、見え見えの嘘をついて、蓋州行きを阻止する。

「蓋州には、外国人の宿泊できるホテルはないので、瀋陽から毎日通ってください。」

「バカ言うな、片道3時間も掛けて通えるか?製造委託先の寮に泊るよ。」

(実際は三星の外賓ホテルに滞在した)

蓋州に行く前日になると、

「集団公司(グループ企業)の行事があり、社有車が出払っているので、明日には行けない。」

「じゃぁ、鉄道かバスで行くから。」

結局は、見るに見かねて進出口(貿易)公司副総経理の常さん(仮名)が、「俺のクルマ使ってくれ」と言うと、ちゃんと社有車が用意された。

 

蓋州の初仕事は、鋼材の表面処理(ショットブラスト)の委託先を見に行くことになったが、積載重量オーバーのトラックに便乗したものだからワインディングかつ悪路の裏道を通っていく。中国のトラックは、日本より10年遅れていると言われたことがあるが、どこかに捉まっていないと放りだされるほどの揺れである。(もちろん、キャブです、荷台じゃありませんよ) まぁ、これも良い思い出。

 

 

【Just Now】

一旦、終息へ向かっていたコロナ感染者数が、再び上昇に転じた。しかし、移動、会食・・・・の自由を謳歌する流れは止まらない。これが、ウイズ・コロナということなのか?

一方、東京都の1日の新規感染者数にも満たない中国各地ではロックダウンが続く。言わずと知れたゼロ・コロナ政策のためである。ロックダウンで、経済はズタズタ。それでもゼロ・コロナ政策の転換ができないのは、ゼロ・コロナとイデオロギーの優位性をリンクさせてしまったからだ。

かつての中国は、一党独裁だが、行き過ぎを抑止する党内権力の綱引きがあった。しかし、今の習近平個人崇拝を標榜する中国には、それがない。プーチン自身が、戦争を中止する選択肢を失ったのと同様、習近平もゼロ・コロナ転換の選択肢を失ったのだろう。自身の政策を否定することは、まさに自身の権威の否定に他ならないからだ。

誤解を恐れずに書くと、民主主義は絶対ではない。発展途上の社会では、一党独裁がベターなこともある。なぜなら、アフリカや中近東の危険な独裁者は、正当な選挙を経て、生まれているからだ。バラマキで票が買えてしまう社会では、集団指導体制の一党独裁が、個人の独裁を抑止する次善の策なのだ。

 

 

旅は続く